男の痰壺

映画の感想中心です

否定するだけも否定されない優しい時代

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大阪府知事の吉村が孫社長とのやりとりで竜馬が好き💛とする孫に対し、こんなんもありまっせと引用した「薩摩の教え」であるが、そこでの男の価値の順序ってのが

1位 自ら挑戦し、成功した者
2位 自ら挑戦し、失敗した者
3位 自ら挑戦しなかったが、挑戦した人の手助けをした者
4位 何もしなかった者
5位 何もせず批判だけしている者

1位〜4位が価値があるらしく、はあ4位も?であるが、何もしないってのは主体的にチャレンジしなかっただけで与えられた仕事はやったのでOKらしい。凡人の俺は胸をなでおろします。

で、これが吉村さんは言いたかったんやろなってのが5位で、今の政界やそれを取り巻くマスメディアやSNSにドンピシャ当てはまる人たちがいることは言わずもがなであります。

 

俺が若い頃に、会社の先輩から言われて、後輩にも好んで使った営業マンの4つのタイプってのがあったことを思い出しました。

・頑張らず目標を達成する

・頑張って目標を達成する

・頑張ったが目標を達成できない

・頑張らず目標も達成できない

4つ目が、はなから存在否定されるのは仕方ないが、3つ目も結局は否定される。「いろいろ言い訳言ってるが要はできなかったんやろ」ってことで、結局は出来たか出来なかったかの2元論しか存在しない。ちなみに、一番上の頑張らず達成も「Aさん遊んでるように見えるやろ、でも陰で頑張ってはんねん」なんて言われて、要はとどのつまり頑張って達成するしかないわけです。

 

その点、薩摩の教えってのは、過程を評価しようという先取の気風に富んだもんやったんですね、ハイ。

薩摩で大多数の仕事に携わる者たちは、その大らかとも言える価値基準で肯定される。

そんななかでも、この手の野郎だけは害にしかならないとされた層が今では大手を振ってのさばっている。そういう時代の異常さを省みるのも一考かと思いました。