男の痰壺

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脳天パラダイス

★★★★ 2020年11月28日(土) シネリーブル梅田4

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通常、この手のテーマでありそうな家族の再生とかには端から興味がないのだろう。ここでそれは、解体された後、組み替えられた異なる様態での再構築の気配を見せる。が、それもどこまで本気かわかりません。

 

逸脱を重ねてグチャグチャになっていく映画の枠組みは、ああ、それがやりたかったんやろなの納得感を伴い俺に訴求する。俺はそういうのが滅法好きなんで受け止めたいと思った。

 

であるが、例えば「逆噴射家族」の全てが無に帰するカタストロフィや「ジャズ大名」の混沌のエクスタシーや「地下鉄のザジ」の醒めたアナーキズムとかに比べて、如何にも時代の閉塞を反映するかのように一家の敷地内で完結してしまう収束。穏当すぎる帰結だ。

 

山本政志の映画は、学生時代に自主上映の「闇のカーニバル」を見たいと思いつつ見逃して以来、「ロビンソンの庭」や「てなもんやコネクション」など折にふれ見たいのに見逃してきたのだが、やっと捉まえることができた。

珈琲豆クリーチャーVS彫像の対峙の切り返しのモンタージュなどはバカをシネフィル素養で増幅して素晴らしい。

 

逸脱を重ねてとっ散らかっていく展開は終ぞ映画の枠組みの解体にまでは届かないのだが、ゲイカップルや棒になった子どもやドラッグ密造やコーヒー豆の化物その他もろもろ全てのネタが互いに連関せず放逐されるのはいっそ清々しい。家族の再生なぞどこ吹く風。(cinemascape)

 

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