男の痰壺

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ブリング・ミー・ホーム 尋ね人

★★★★ 2020年9月27日(日) シネリーブル梅田2

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子どもが失踪するというモチーフで思い出される映画にイ・チャンドンの「シークレット・サンシャイン」があるが、この映画で監督デビューしたキム・スンウは同作のスタッフだったらしい。拘りがあるモチーフなのかもしれませんし、筋もいいんだろう。相当な力量を感じさせる演出だった。

ただ、母親の苦悩を形而上的に突き詰めていくイ・チャンドンと違い、展開がジャンルミックス的に逸脱していく。そのへん、「哀しき獣」や「哭声」のナ・ホンジンに近いかもしれない。

 

心理的な葛藤劇が、クライムアクションに舵を切る。って言うパターンは韓国映画でけっこうよく見られるのたが、不整合な逸脱とか観客への迎合と感じられる場合もある。だが、先述のナ・ホンジン作などは描写の厚みが無理くりにでも逸脱を均衡化させている。

本作の場合も、そういう力業を感じさせる。特に秀でてるのが、後半の主舞台になる釣り場とそこにたむろするゲス人間コミューンの創造で、この「悪魔のいけにえ」的な異空間に彷徨いこんだ細腕イ・ヨシエ危うしの切迫が逸脱を適合化する。

 

新たな注目すべき才能の登場だと思います。

 

喪失感の表現も沁み入る前半だが、後半、掟破りなジャンル逸脱にも拘らず均衡が維持されるのは特異な環境の創出による。越境の寸前で踏み止まるゲス人間コミューンのリアリティは各人の来歴や力関係のバランスなど精緻で細腕ヨシエの反攻も適合化される。(cinemascape)

 

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