男の痰壺

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アバター ウェイ・オブ・ウォーター

★★★★ 2023年1月16日(月) 大阪ステーションシティシネマ12

前作から10数年が経ち今更の証文出し遅れ感があるし、しかも言うにことかいて5部作構想だと聞いてうんざりした。見んとこ思ってましたが「キャメロンを信じろ」との海外評とかもあって見ました。確かに信じるに値する奴ゃなとは思いましたけど。

アバターってのは仮想空間での自分の分身となるキャラのことなんだそうで、前作では戦傷で車椅子生活となった主人公が異星の種族の擬体に意識を接続して暴れ回るわけで、擬体と実存の人体を意識が往還するからアバターだったのに、本作ではその設定は放逐されている。アバターちゃうやんと思いました。まあ、どうでもいいですけど。

そんなんで、これはパンドラという惑星でナヴィなる種族の長となった主人公が地球からの侵略者=人間と戦う話に単線化される。もともと人間だったのにナヴィ側に立って戦っているという悲哀や葛藤なんて露ほどもない。例えば「ダンス・ウィズ・ウルブス」の主人公が白人なのにアメリカ先住民の側に立つことで醸された越境感なんかはキャメロンの意識には過ぎらないんでしょう。まあ、いっそ清々しいと言えばそうなんですけど。

 

本作の成功の要因は、前作から引き継がれたサム・ワーシントンゾーイ・サルダナの物語を後景に退いて次世代の子供たちの話を前景に出した点です。これで物語は七面倒くさい設定を忘れて躍動感を得る。キャメロンが秀でているのは、こういう大鉈を振るえる裁断力だと思います。

この調子やと、第3作では子どもたちが成人してワーシントンとゾーイは老齢でご隠居なんて大鉈もあり得るんじゃなかろか。

 

トゥルクンなる鯨みたいな知的巨大海洋生物が出てきて、これを地球人たちが残酷に狩るわけだが、反捕鯨の露骨な立場の表明もキャメロンやからしゃーないかと思いつつ、捕鯨国家の一員である俺たちも迷い鯨「淀ちゃん」の可哀想な顛末に涙したりもするんやでーと単視眼的な見方に何某かの思いも感じました。

 

擬体と人体を往還する自意識という当初モチーフの越境感は綺麗さっぱり放逐され、物語も次世代へとホップステップする大鉈にキャメロン強かなのかアホなのかと惑う暇なく強引に振り回される。使い古されたある種のパターンと新たな技術の適合性への嗅覚。(cinemascape)

 

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