男の痰壺

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どん底作家の人生に幸あれ!

★★★★ 2021年1月27日(水) 大阪ステーションシティシネマ11

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子どもの頃にテレビの洋画劇場で「トム・ジョーンズの華麗な冒険」っていう映画を見て、すごく好きだった覚えがあります。フリーシネマの世知辛い映画ばかり撮っていたトニー・リチャードソンがこういう古典文学をバロックな作風でものにしたことが驚きです。

 

今作もイギリスの古典と言ってもいいでしょう。ディケンズの「デヴィッド・コパフィールド」の映画化だ。

なんて偉そうに言ってるけど、当然読んだことなんてありません。ディケンズで読んだのは、薄っぺらい「クリスマス・キャロル」くらいです。

だが、主人公の数奇な一代記的物語って点で「トム・ジョーンズ」と通底してる。いや、してればいいなと思って見ました。

 

のっけから予想の数段上を提示されて驚いた、っていうか戸惑った。

少年デヴィッド・コパフィールドがインド人なのだ。19世紀のイギリスが舞台で、お母さんも周囲の人たちも皆白人なのにデヴィッド・コパフィールドは何故かインド人。ちなみに成長したのちは「スラムドック$ミリオネア」の人が演じます。

 

昨今のディズニー映画みたいな人種コードへの過剰反応に疑問を感じる俺は又かと思ったのだが、ああいう3人とか5人に1人黒人入れときゃ文句ないっしょ、みたいなのと違って、ドカーンと主役です。おかげで何でもありになった、主人公が最後に結ばれるアグネスは黒人だし、その父のウィックフィールドは中国人です。

 

古典を基にしているが、目指しているのは一種の奇想譚に近いと思う。そういう意味で、この人種の混成は見るものをラビリンスに誘う役割を果たしている。

まあ、物語的には駆け足で、個々のエピソードを十分に斟酌する間もないのですが。

 

英文学古典を基にした数奇な運命の伝奇譚かと思ったらとんでも奇想譚だった。昨今の人種コードへの過剰な阿りを逆手に取ったど真ん中からの人種ラビリンスは何でもありのワールドを補完する。物語が駆け足で個々のエピソードを斟酌する間もないのが難点だが。(cinemascape)

 

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