★★★★ 2021年7月21日(水) TOHOシネマズ梅田10
アメリカに於いて俳優から監督へ進出・転身するという流れが少しずつ増えてきているような気がする。そのことに何か意味があるのかは判りませんが。
何故そんなことを意識したかというと、前作で一家の父親役で主演し監督もしたジョン・クラシンスキーの演出が今回は一層に熟れて良いと思ったからで、プロローグ以外での出番はないので監督業に専念したんでしょう。力量があると思いました。
前作の前日譚から始まる。
アメリカのスモールタウンが奴らによって蹂躙される様は、予算の増大に見合うミニ「宇宙戦争」的なスケールで見応えがあります。特に遠方に何かが落下してから町にそれが襲来するまでの時間感覚が適正でノンストレスだ。
一家は家を出て生き残りの仲間を探しに行く。廃工場で奴らに襲われ逃げる途中で少年が人間の仕掛けた罠に足をはさまれる。肉魂に食い入り骨にまで達する激痛と恐怖に堪らず少年は嗚咽混じりの絶叫をもらす。その叫びの5割り増しの過剰が適正に思える。
この映画、終わってみればさして目新しい展開があったわけでもないんだけど、それでも観客はスクリーン内の時間やリアクションの配分に同期して満足し得る。それも又演出力だなと思いました。
一行は終盤に2手に別れます。なんだか別れんでいいのにと思わせる無理筋展開に思えたのだけど、演出はクドいまでに同一アクションのカットバックを繰りかえす。それが、新たな時代を担う2人に収斂されていく演出はベタなりの強靭さを纏っていると思いました。
先述の絶叫ヘタレ弟を演ったノア・ジュブだが、「ワンダー」の少年や「フォードVSフェラーリ」の息子役など文句なく印象を刻印してきている。化けそうな気がします。
遥か彼方の変異が至近に到来する時間の大枠設定やミニマムな激痛の演出など随所で的確であることへの信頼感を感じた。さすれば終盤の為にするかのような設定もカットバックの大見得の方途である。切り開いていくべき時代を担う子どもたちに委ねる健全な精神。(cinemascape)