男の痰壺

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プロミシング・ヤング・ウーマン

★★ 2021年7月21日(水) TOHOシネマズ梅田10

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アメリカのリベラル層が選定するアカデミーや批評家協会の賞で高評価だそうです。

昨年の「スキャンダル」みたいなペラペラ映画がフェミニズムのバイアスがかかって高得票するのを見てるので、またぞろやらかしやがったと思いました。

 

レイプされた女性が復讐するって話は枚挙に暇が無い。ヒット作「ドラゴン・タトゥーの女」だってそれが主題じゃないがエピソードとして大きな尺を費やして苛烈な報復を描いている。ルメートルの小説「その女アレックス」などは報復が凄惨の極みで映画化は不可能とさえ思わせるほど。

そんな先駆作群を前に、この映画の微温さはなんなんだろか。

【以下ネタバレです】

・この映画の主人公はレイプされた当事者ではなくそのお友達である。どういう経緯か知らんが、そこに居合わせたことで人生棒に振るような生き様を選択してしまった。

・報復の内容が、ひっかかったねウスラとんちき程度の相手を脅かせるレベルで、その程度では何かを変えることなど永遠に不可能に思える。

 

正直、主人公は理解の及ばない動機に基づいて意味不明の行為を繰り返すイタい女にしか見えません。

主演のキャリー・マリガンがどっちかというと良妻賢母タイプの可愛子ちゃんが行かず後家になったみたいなイタさを纏ってるのも、絶妙に適合してる一方で痛々しさがつらい。

 

この映画が、そういったイタさに充分に自覚的で、それを描こうとしたなら未だしもですが、見よ男ども、これが女の生き様ヨ!と大声振り上げてるような気がするんです。

 

こんなこと言ってる俺も早晩血祭りにあげられるかもしれません。そういう時代です。

 

友人の被虐に人生棒に振って帳尻をつけようとする。そのつけ方も須く寸止めであって何やっとんのやの誹りは免れない。思い込み過多のイタい女の自己満足をそのように描くのならそれはそれでいいのだが作り手が自己同一化する様はフェミニズムの成れの果てだ。(cinemascape)

 

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