★★★★ 2021年8月29日(日) 大阪ステーションシティシネマ9
カンヌの脚本賞だそうだが、おそらくそれは濱口・大江の脚色力というより村上春樹のストーリーテラーとしての力量に負うところが大きいのではないか。って原作読んでませんけど。
【以下ネタバレです】
冒頭で霧島れいかが寝物語として語る物語は中断され、彼女の死後、映画の後半で岡田の語りによって継承される。
実はこの映画で、もっともエキサイティングだったのは、この岡田が走行中の車内で延々と語る死んだ女の語った物語の後半部分で、これこそ村上の得意な入れ子構造の真骨頂で、再現ドラマのチープを廃しひたすらに言葉の力に身を委ねる快感がある。反映画的とさえ言えるこのシークェンスを成功させた演出の度量と戦略的確信を感じます。
多言語による演劇ってものが、何を意図したものでどういいのかもわからないのだが、少なくともプレーンな演劇創作から何かを抽出させる困難からは免れている。野外公園での稽古で演じる2人を止めて「いま何かが起こった」と西島が言う。観客も何かが起こったと感じさせないといけないハードルの高い設定だが、意図不明の演劇という基盤の上で観客も「なんかわからんけど何かが起こったんやろ」と納得する。
女房が浮気してることを知って、ちょっと気持ちが退きかけたころ、彼女は突然逝ってしまった。その日、男は仕事が終わってもすぐに帰らなかった。帰っていればとの忸怩たる思い。
その何年もの間わだかまった心のつかえを吐露する旅路。
先述の女房の紡いだ物語や演劇のあれこれ、或いはドライバーとして雇用された三浦透子の出自や岡田将生の顛末などは、実のところ本線の西島の自己再生には直接的には関与しない。
しかし、そういった多くのエピソードが主人公の周りで、どん底からの再生や栄華からの失落や温もりのある平穏や心の闇の顕現を見せることで内向きな心も融解していく。
そういった図式が巧く表現し切れてるとは言えないけど、どのエピソードも真摯で透徹されたトーンを保っている。だから納得させられた気分になるのでしょう。
やっぱ脚本賞妥当っす。
「素敵なダイナマイトスキャンダル」から三浦透子推しです。本作の役は彼女のためのものだと言っていい適役でした。
「きみの鳥はうたえる」、「さよならくちびる」、「佐々木、イン、マイマイン」と3年連続で俺の日本映画年間ベスト作を手がけた撮影の四宮マジックアワー秀俊だが、こちらは今回、若干物足りませんでした。
逝った者への蟠りを融和する旅路は秘められたことを詳らかにすることでは更なる隘路に踏み込んでしまうだけだ。寝物語の結末が語られる長い車中こそ反映画に委ねた全篇の佳境だが混沌は弥増す。他者とのシンクロニシティこそがそれを解消する。出会いの物語。(cinemascape)