男の痰壺

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ドント・ルック・アップ

★★★★★ 2021年12月15日(水) シネリーブル梅田2

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地球の終末をブラックな笑いで縁取り描いた点で「博士の異常な愛情」と通じるものがあるんだが、あれが、登場人物を政府高官や軍部に限定したポリティカルな作劇だったのに対して本作の目線は庶民にある。

 

【以下ネタバレです】

何ヶ月かしたら彗星が地球にぶつかってみーんな死んじゃいますよーってなったとき、どうなるのかなって改めて考えさせられました。

映画では、大衆は相変わらずSNSとかで揶揄や中傷に奔走してるし、政治家は選挙のことしか考えないし、事業家は利益優先のスタンスを変えない。これが、風刺映画のコンテクストではなく、多分本当にあり得ると思わせられる作劇の巧さがあり、うんざりするほど作られてきた終末ジャンルの作品群に新たな基軸を立てたと思わせられる。

そして、あり得ると思わせられるからこそ、後半に地球から彗星が目視できるようになったときの衝撃と諦念はディカプリオやジェニファー・ローレンスを通して見る者にダイレクトに突き刺さる。

 

風刺の対象は多方面に向かう。メリル・ストリープ扮するアメリカ大統領は、トランプキャップみたいなのを被って演説に立つことからもトランプ揶揄で間違いないが、スティーブ・ジョブスモデルらしい携帯会社CEOも映画はこきおろす。共和党と結託するGAFAが大多数の民衆を置き去りにした構図を地球の危機にも当てはめているみたい。ま、そこまで現実は分かり易いとも思わないが、この役を演ったマーク・ライアンスの得体の知れない演技は傑出してると思います。

 

最後、不倫騒動で女房から三行半をつきつけられたディカプーは家に帰る。女房は受け入れる。一緒にやってきた仲間たちともども食卓を囲む。最後が迫ってるが皆もうジタバタしない。完全に明鏡止水の境地なんです。そして、その時が来る。

ああ、俺もこういう最後の迎え方したいなーと本気で思いました。

そういう意味では、エンドタイトル途中と最後の2シーンは全く邪魔。余韻ぶち壊しだ。

 

演技陣では、先述のマーク・ライアンスの他、ディカプリオのオタオタ演技が新鮮。ストリープは巧さが最早当たり前で驚きなし。ジェニファー、ケイト・ブランシェットの2女優は受け芝居で役不足でした。

 

ギャグは序盤のホワイトハウスでのみみっちい詐欺が最高。茫然自失のジェニファーに全ての観客は同意するだろう。爆笑したが、何故か笑ってるのは俺1人だった。

 

功利主義共和党とGAFAへの揶揄は解り易すぎるがギャグが冴えまくり冷えた演技の深みと相乗され持ってかれる。同等にSNSに狂奔する善良たる市民も撃つマッケイのバランス感覚。終末に際し人はどうすべきか。その解が浮気騒動の挙句の最後の晩餐。(cinemascape)

 

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