男の痰壺

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聖地には蜘蛛が巣を張る

★★★★ 2023年4月29日(土) シネリーブル梅田1

娼婦ばかりを狙うシリアルキラーっていう題材はけっこう映画では取り上げられていて、だいたいそういうのは潔癖すぎる社会観と一方で潜在的女性嫌悪があるとされているようだ。

本作はバリバリのイスラム原理主義国イランを舞台にした実話をもとにしているのだが、ミソジニーの根源はイスラム教に紐付けられないと監督のアリ・アッバシは言っている。イラン固有の社会的風土だと。ふーん、それなら根は浅くて尚更許し難い社会じゃのーって思いますなあ。

 

そういう社会性を帯びた製作意図があり、殊更扇情的なジャンルの梗概を纏っていないにも関わらず、それでも繰り返される女たちの殺戮描写はバリエーションの差異化が施されて飽きさせない。特に3人目か4人目の豊満女性の件はブラックな諧謔がだだ漏れる秀逸なシークェンスだ。

 

シリアルキラーおっさんの物語の一方で、事件を追う女性記者の話が並行する。そこでも又、働く女性を阻害する女性蔑視の壁が立ち塞がる。アラーの教えで小汚い娼婦殺しまくる親爺とそいつを阻もうとする女性記者の顛末は得てしての苦い結末を迎えるのか。

終盤に2転3転した挙句に迎える帰結のカタルシスは託したい希望であろう。

 

罪そのものよりそれを産み出し呑んで融解させるイスラム原理主義の価値観を撃つのが建前だとすれば、半素人な殺しの連鎖が到達する諧謔味が不如意に現れる。妻の帰宅や豊満女性の件は佳境。そのブラックな反転視線はあるべき顛末を嘲笑うかのように結実する。(cinemascape)

 

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