男の痰壺

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Life work of Akira Kurosawa 黒澤明のライフワーク

★★★★ 2023年6月18日(日) 塚口サンサン劇場2

学生時代の後輩の作品で、ここ1、2年、素材を編集する過程で何度も試作を見せられていたものですから、正直今回、関西のスクリーンにかかるからといっても食傷の感も拭えなかった。でも見て良かった。

 

一つは、映画館の音響で役者の台詞が明晰に聞こえるのがいい。特に本作では台詞をトチる或いはダメ出しされる役者と黒澤のリアクションが随所で見せ所となっている。

二つめは、大きなスクリーンで見ることでデジタル以前のビデオテープの質感が強烈にブローアップされる。ダビングや経年劣化で潰れて滲む画像がデジタル化されクリアな音質と一体となったとき史料価値としての蓋然性というものを改めて思わされるだろう。なんだかロマンチックでさえあります。

 

映画の終盤で黒澤が言う。映画を作る過程で一番重要なのは編集だと。撮影はそのための素材作りの場でどんだけ素材を豊富に作れるかが勝負なんだと。それは、今作を膨大な素材からブラッシュアップしてまとめ上げた河村にとっても同様な思いであったろう。アバンタイトルに黒澤の演技指導の様々な様子を畳み掛けるように配置している。何度か見せられた編集バージョンの中で一番良かったと思います。

 

世の中には黒澤信者とでもいう人が一定数いて、まあ河村もそのうちの1人なんでしょうが、そういう人が黒澤万歳で作ったもんは所詮は好事家の慰みにしかならない。もし、そういうもんならお仲間の鑑賞会ででも勝手にやったらいいと思う。

正直、今作にもその懸念は拭いがたかったが、それは最小限に抑えられ、編集の志向は削ぎ落とされて1本の映画製作に於けるドラマトゥルギーを見出す作業に絞られたように思えます。

 

井川比佐扮する「鉄」が原田美枝子の「楓の方」を斬首する件の撮影シーンは何度見ても素晴らしい。黒澤にとって信頼できる役者である筈の井川が何十回もダメを出す。その果て精魂尽き果てた井川の佇まいに何かが到来したのが見て取れる。空気が明らかに変わった。応ずる原田にも何かが注入される。そして1発OK。これだから役者はやめられません。

こういう瞬間を映像に定着できた映画はやっぱ稀有というしかないんです。

 

監督としても否応なく役者との相性というものがある。原田やピーターへの大甘指導の一方で男たちには1言って10分からないと苛つく。その結果がどうだったかは『乱』本篇が物語るだろう。楓の方斬首のリテイク地獄は出来る井川への信頼の結実。(cinemascape)

 

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