★★★★ 2023年11月16日(木) TOHOシネマズ梅田8
【最初からネタバレです】
人とは違った性的嗜好があり、それによって孤独に陥る。ということを描くのだとしても余りに突飛な設定で現実的な生々しさが回避されている。だって、ガッキーが縄で縛られローソク垂らされて欲情するとか、幼稚園児の男の子にしか性的興奮を覚えないとか、やっぱムリやし、水フェチですか。サラサラと綺麗で絵になるもん。
と、最初から茶化す様なこと書きましたが、この映画は、その無理筋な設定を極めて真摯に誠心誠意の本気で描いている。
世界の中で自分だけ違うんだってことで、それでも何とか周りと折り合って生きてきたし、これからもずっとそういう人生を送らなきゃいけない。という覚悟はどうしても自閉的な性格を形成する。そんな中で、幸運にもまさかの千載一遇というか、同じ嗜好を持つ異性が現れた。この2人が恐る恐る互いを確認し合い寄り添っていくドラマは一種のファンタジーとしてですが素直に心を打ちます。
それと並行して稲垣吾郎の家庭の話が描かれるのだが、こちらで起こることは対照的にかなりの普遍性を持つ。こんは話は子どもをもつどこの家庭でも起こりそうだし、その際の夫婦の対応の真逆さも極めてリアリティがあると思いました。稲垣の対応が、鏡に映った自分自身を見てるようで身が切られる。
そんな2つの挿話が交わることによって、例えば稲垣が多様性というものを理解して自身の子への対応の過ちに気づく、みたいな迎合的帰結に至らないところも良い。世の中そんな簡単じゃないから。
もう1つ、大学生の男女の挿話が絡んでくる。これは、上記の2つの挿話に有機的に関与してない。男性恐怖症の女性と又もやの水フェチ男の話で、当然ながら互いに相入れるものはないはずが、女性に性的興奮を覚えない男だから男性恐怖症の彼女は接近できる。でもこれは、水フェチつながりに無理くりせんでも良かったのではと思いました。例えば男がゲイという設定なんかの方がより普遍的な何かを提示し得たような気がしました。
去年まで知らん役者でしたが、磯村勇斗を「波紋」、「月」と本作で今年3作見て名前を覚えました。意欲的な作品に次々登用されて印象に残ります。
多様性とは言い換えれば世間との隔壁だという当然の事実でガッキー・磯村の孤独を真摯に描いて心打つのだが、稲垣の子に纏わる話では妻は隔壁を無効化しようとして足を掬われる。身も蓋もないが現実だろう。ただあるのは孤立する者たちへの共感。(cinemascape)