男の痰壺

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ほかげ

★★★★ 2023年12月21日(木) シネリーブル梅田2

趣里1本かぶりの映画かと思ってたが違ってたのが予想外であった。そして、それが結果的に物語を客体化して風通しの良さをもたらす。

考えてみれば、塚本映画とは徹頭徹尾に主観の物語であり続けてきたわけで、こういう第3者の目で語られる展開は新たな叙法を獲得したというか、歳食って別のステージに踏み込んだというか、アクが抜けて達観の視座が腑に落ちるようになったというのか。知らんけど良いと思える。

ここでの第3者とは少年であって、彼が趣里森山未來趣里と居場所を往還しながら見聞きし、その中で自らも何らかの成長を遂げるという展開は映画としての基軸を3つおっ立てて安定化をもたらす。終盤の帰結に至ってはオーソドックスとさえ言える。

 

趣里、森山の挿話は全く連関しないのだが、少年と1丁の拳銃が両者を辛うじて連結する。これも極めて映画的。森山のもとから趣里のところに帰ってきての短いシークェンスは前段の重くある意味不可解な成り行きの頸木を氷解させて、彼女の自ら半幽閉されたかのような状況の哀しみをスパークさせる。

少年は全てを呑んで新たな旅立ちに向かうのだ。素直に感動的です。

 

ひっそり生を閉じる者と怨讐晴らす者。両者の挿話を少年と1丁の拳銃が往還して連結する。その説話的な構図の奥底から失われた命と新たに芽吹く生命力が火影のように立ち現れる。塚本映画が新たに獲得した神話性。惜しむらくは残るインディーズの尾っぽ。(cinemascape)

 

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