★★★★ 2022年4月1日(金) シネリーブル梅田3
前半は、こりゃダメだーと思った。
アダム・ドライヴァーが売れてるスタンダップコメディアンの設定なのだが、その芸が全くオモロくない。ワーワーギャハハと映画内の客席が受けるほど俺の心は冷めていく。映画のお約束事として許せるもんと許せないもんがあるのだ。
ミュージカルなのだが、スパークスの音楽も今いちピンときません。ファーストショットの長いワンカットの移動も、もはやこの程度ではってレベルで段取り感が透けて見える。
唯一、クンニしながら乃至はオシッコしながら朗々と歌ってるってのが目新しい。あと、バイク2人乗りのショットはまあ良かった。
【以下ネタバレです】
映画は中盤で2人の間に娘が産まれてから、俄然逸脱を始める。
まず、この娘アネットがお人形さんである。リアルな赤ちゃんでは不可能なシーン頻出への苦肉策かとも思ったが、元よりの設計だったのだろう。映画はアネット誕生を境にリアリズムの尻尾を切ってロマン主義、更にはシュールレアリズムの領域に延伸していく。
裏返しの「ダンサー・イン・ザ・ダーク」のような悪意の奔流と対置された人形アネットの清らかな歌声は佳境に至り「モスラ」の小美人と連結する。カラックスが「TOKYO」メルドの劇伴にゴジラの伊福部音楽を流したのを思うと強ち穿った見方ではないだろう。
最後、悪意はアネットの純真によって断罪される。その余りに然もありなむな帰結がどうかと思ったが、エンドクレジットの総てを浄化・寓話化させる素晴らしい詩情と余韻に浸り盛り返した。
見てる間の印象が凡作と傑作の間を激しく往還する映画だと思いました。
嫉妬と保身で愛と信頼を裏切り魔界冥府へ堕ちいく男の物語は増村並の灰汁の強さと押しがほしい。善性は人形に封殺され『モスラ』小美人の如く消費される。この混沌は大林のよう。全てが終わりアネットの人間界への帰還と寓話の終焉。その余韻の詩情。(cinemascape)