★★★★ 2023年12月21日(木) シネリーブル梅田1
監督/ギャスパー・ノエ、主演/ダリオ・アルジェントとフランソワーズ・リュブラン、題材/老夫婦の認知症、手法/全篇スプリットスクリーン、とまあ語るべきスキャンダリズムがテンコ盛りの映画に思える、のだが、そんだけ?という感じもする。
奥さんが認知症になりつつある夫婦の話で、のっけから彼女の徘徊に至る様をスプリットスクリーンで2視点から追っていくのだが、2つのカメラが時に交差し離れて再び接近する臨場感が素晴らしくダイナミックな映画的興奮を呼ぶ。
リュブラン自身が相当に研究したという認知の演技も、心がここに在らぬ演技が波のように正常・異常が入れ替わる様を交えて本当に素晴らしい。のであるが。
ギャスパー・ノエは自身の母親の認知発症と死を経験して、観客を泣かせる心づもりで本作を撮ったと言っている。でも、全然泣けません。それは、老夫婦が互いにかけがいのない相手だと、色々あったけど、腐れ縁だとしても。そういう心根が無いのでは喪失の哀しみが起こりようもない。
アルジェント扮する爺さんは妻がそんなになっても不倫相手に未練たらたらのクソ爺い。妻のこと一応心配はするが、それより自身の領分が冒されることの方が問題なのです。
認知症は長年隠蔽されていた鬱積した思いを解放させる。ニコニコして良い人だったのが暴力的になったりするのはそういうことなんだろう。妻の夫の不倫に対する忸怩たる思いは、そういう思いを晴らす結末へと繋がっていく。泣けるわけないんです。だけど、それこそギャスパー・ノエのノエたる証に思える。それが「アレックス」のような直線的な感情の発露に繋がっていかないのがもどかしい。
老妻の徘徊に至る過程をマルチカメラと2元描写の組み合わせで描く冒頭はスプリットスクリーンの醍醐味が炸裂するのだが、後はアクションへの拘りは途絶える。煎じ詰めればノエのエディプスコンプレックスの吐露でありアルジェントはクソ爺いを体現。(cinemascape)