男の痰壺

映画の感想中心です

2重のダメージは人を死に近づける

少し前にコーエン兄弟の「インサイド・ルーウィン・デイヴィス」という映画を観た。
「八方塞がり行き場無し」になってしまった男の物語。
身に沁みる映画だった。
「八方塞がり行き場無し」になってしまった経験がある男はわかる映画だと思う。
 
1989年の暮れ。俺は長崎にいた。29歳だった。
クリスマスイヴで街は浮かれていたが、俺は青息吐息だった。
いろんな事情があって、次の朝、会社に行けない状況だった。
顧客を結果騙した形になり筋もん行かせると脅されていたし、自身の借金も完全にアウトな状況だった。
バブルの恩恵なんて地方をずっと回っていた俺にはカスリもしなかった。
 
50数年生きてきたが、「死ぬ」ということが一番身近に感じられた夜だったと思う。
 
思案橋の行きつけのスナックに行ったが、どっかの会社の奴が大勢で大騒ぎしており30分位で出た。
付き合ってるようなそうでもないような関係の1歳年上のバツイチのママに会ってどうなるもんでもなかったし、何かを期待してたわけでもないが、カウンターで憂愁している雰囲気でもなかった。
 
深夜1時過ぎの人気のない商店街を歩いて帰る途中、手相見の明かりがぼんやり灯っていた。
そんなもん、それまで1回として見てもらう気になったことはないが、普通でない精神状態の俺は誘蛾灯に誘われる蛾よろしくついつい引き寄せられてしまった。
 
「悩みがありますね」
「ええ」
「苦しいですか」
「そりゃ…まあ」
「何とかしたいと思ってる」
「思ってるよ」
「わかりました」
「…」
「…」
「何か…あるの?アドバイスみたいな…」
「はい」
「…」
「明日の朝9:00に私たちの教会に来なさい」
「えっ…それって…うっそ」
 
新興宗教の勧誘だった。
 
人は1回の打撃には耐えられても2回・3回と打撃を食らうともろいものだ。
スナックと手相見というWパンチを食らった俺は、間違いなくそのとき崖の先にたって死の淵を見下ろしていた。
 
今だから話せる思い出である