男の痰壺

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女王陛下のお気に入り

★★★★ 2019年2月23日(土) TOHOシネマズ梅田5
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なんか変わったなと思った。
人の気持ちの流れが普通にわかるのだ。
 
ヨルゴス・ランティモスの映画は「ロブスター」と「聖なる鹿殺し」を見てるが、登場人物が何考えてるのかさっぱりわかりませんってな映画で、それが静謐な鋭角的構図の世界の中で剣呑な胸騒ぎを醸す。
おそらくそんなとこやろうと調べたら、前記2作は自身の脚本なのに対して今作は人の書いた本なんですな。
 
物語的には目新しくない。
成り上がりものであり、新旧の入れ替わりものです。
そこは変人監督であるから普通にやるわけないってことで、そののし上がってやるの性根はさらりとしてる。
脚本にあるから撮りましたってかんじで、召使から侍女に昇格したエマが個室が与えられて喜ぶ件りなんて、してやったりの描き方なんてさらさらない。
 
この映画で特筆なのは、宮廷のセット美術であり女王の複雑な造形。
 
階下の召使の作業場、謁見の間、ペットまみれの居間、弧絶感がただよう寝室、巨大な書庫室。
これらを広角レンズでパンニングする演出が目立つが、こんだけ良くできたセットならそうしたくなるやろ。
と、思わせます。
 
夫に先立たれ、幾人もの子を流産し、主君として国の趨勢を決めねばならず、孤独と我儘とストレスから暴食し痛風になってろくに歩けない。
冒頭の「見てんじゃないわよ!」から始まりラストの「脚もまんかい!」で終わる彼女の揺れ動く心を演出は楽しんでるし、オリヴィア・コールマンもよく演じた。アカデミーもむべなるかなである。
 
目新しくない展開と最初に書いたが、とくに、中盤でレイチェルを退場させるのに毒を盛るってのが、ちょっと他にないんかいなってくらい安易であって、そのあとのブラックジャック化した彼女のインパクトをもってもぬぐい難い。
また、彼女が退場した後、演出はエマを放逐したかのようによそよそしい。
物語は急速に活力を失うのだ。
おっぱいまで披露し熱演したエマには気の毒な気がした。
 
ランティモスが脚本に参加しないことで普通の物語になったのだがキャラ造形と圧倒的な美術への拘りが突出する。幾多の流産を経て統治者としての孤独と重圧から暴食の果ての痛風に苛まれる女王の爛れはエマVSレイチェルの確執も足下で踏み躙る。(cinemascape)