男の痰壺

映画の感想中心です

アトリエの春、昼下がりの裸婦

★★★ 2016年8月20日(土) 新世界国際
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創作という作業にリヴェットやエリセ並みに真摯なわけでも当然ない。仄かといっていいモデルとの関係性にエロスも介在しない。だが煮え切らぬ三角関係は死へと向かう諦念めいたタナトスが浄化するだろう。そういう無常とも言える余韻はあるにはある。(cinemascape)

海の上のピアニスト

★★★ 2024年3月27日(水) 大阪ステーションシティシネマ

俺はトルナトーレの「ニュー・シネマ・パラダイス」の情に浸るだけの作風が嫌いな人間なので本作も敬遠してたのだが,今回再映されるのを機にどんなもんやろかと見てみました。で、やっぱこのおっさんダメや思った。

 

欧州航路をアメリカと行き来する豪華客船に遺棄された赤ちゃんが船内で育てられ長じてピアニストになった、が彼は死ぬまで船を降りなかった。と極めて寓意性に富んだ設定である。

でも、トルナトーレはその設定を本気で突き詰める気はないようで、彼が誰にピアノ演奏を教わったのかとか、どうやって衣食住を適えたのかとか全部スルーする。ホラ話は細部のリアルによって担保されるのになーと思う。

 

後半、彼は乗客の移民の女の子に一目惚れして彼女が降りたニューヨークに降りようかという気になる。だけどタラップの途中で尻込みして船内に戻る。果ての見えない世界が自分の概念を超えているのだそうだ。オリジナルに構築した世界観に囚われて自己肯定し厳しい一歩を外に向かって踏み出せないのは、俗に言う引きこもりと一緒やん。そんな彼が内世界に収縮していき迎える末期にはロマンティシズムの欠片もないのである。

 

そんな話の語り部としてトランペット奏者のおっさんがいる。「ニューシネマ・パラダイス」の長じて映画監督になる少年のポジションだが、そんな彼が楽器の古売商に物語るという体裁はまあイケてると思った。★1つ加点した次第です。

 

寓話として興味深い設定ではあるが「世界の果てが見えない」という理由づけをトルナトーレがどこまで信じて説得性を持たせ得たのか疑問。批評性もなく只管に情に浸って哀感を垂れ流す気色悪さだが、語り部の叙述体が魅力的で平衡感覚を辛うじて付与した。(cinemascape)

 

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マリの話

★★★ 2024年3月20日(水) シネヌーヴォX

濱口竜介の作品に助監督として参加していた高野徹の初長篇作品、だそうだが1時間ちょいの中篇で、それが4つの掌篇からできている。

なんでも高野のインタビューを読むと、パリに留学中に幾つかの短編を撮り、その中の1つが出来が良くて公開したいなと思ったが短かすぎるので新たに3つの日本での話を創作したとのことで、それが女優のマリにまつわる話で、パリで撮った短篇は、そのマリが監督しようとしている(或いは監督した)映画として4本目に配置された。

で、結果として、やっぱ4つ目の挿話が最も強度がある。まあ、強度があると言っても、フランス人の男女が林の中を散策しながら各々ランボー萩原朔太郎のエロい詩を朗読するってだけのもんなんですがね。

 

新たに付加された3本の中で、1本目が現実と妄想が混濁する様に於いて最大限に誉めるならブニュエル的に面白い、と言えるかも知れない。ただ、冒頭と最後に配された両者の越境以外の中盤がどうにも生煮えな感じでむず痒くも青い。

 

この、1本目と4本目を見る限り、日本映画に久しく見なかった作家主義的な個性の登場を期待させるものではある。

2本目、3本目は意図がわからんし、俺にとってはどうでもよかった。タイトル他語り口のフォルムにはホン・サンスの影響も読み取れるが、それは高野本人も言及してるところである。

 

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奇跡の人

★★★★★ 2017年2月13日(月) 大阪ステーションシティシネマ
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構成が秀でているんだと思う。
サリバンが到着して初対面で即ガチンコが始まる。
有無を言わせぬ完璧な掴み。
 
クライマックス。
記号が概念と直結する。
世界の仕組みが一瞬にして明らかになる。
怒涛のようにヘレンの頭の中で思考回路が変容する。
そういう極めて文学的イメージに映像が拮抗してることに驚いた。
 
直前のあんだけやったのに元の木阿弥かいな的落胆が効いている。
鮮やかすぎる作劇。
 
サリバンが到着し初対面での即ガチンコが有無を言わせぬ完璧な掴み。クライマックスでは記号が概念と直結し世界の仕組みが詳らかになり怒涛のようにヘレン脳内で思考回路が変容する。そういう極めて文学的イメージに映像が拮抗してる驚き。鮮やかすぎる作劇。(cinemascape)

だれかの木琴

★★★★ 2016年9月12日(月) 大阪ステーションシティシネマ
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東としては80年代川上皓市と組んだ女を描いた一連作のテイスト復刻にも見えつつ主張しない女優を据えての奇矯話に周回した老成も感じる。平日の午睡のような平穏に包まれ偏執行為にのめりこむ主人公に男たちは為す術もない。そんな諦観は好ましい。(cinemascape)

ペーパー・ムーン

★★★ 1975年6月22日(日)  阪急文化
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グッドオールドデイズ的話芸がシネフィル的に嫌らしくも巧過ぎて見とれるのだが、如何にもな大人こどものテイタムには今いち馴染めない。コヴァックスのモノクロ撮影が時に水墨画のように素晴らしく、フォードなアングルで撮られた空なんて粋。(cinemascape)

風に濡れた女

★★★ 2017年2月13日(月) シネリーブル梅田4
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日活ロマンポルノリブート作なのだそうだ。
曰く、制約(何分か毎の濡れ場の挿入)さえ守れば何やっても良かった。
多くの業界人は述懐し、その歴史的意義に触れる。
少なからぬ傑作を残した…と。
まあ、過去の追憶は良い思い出しか残らないってことです。
 
あの頃、シコシコと3本立ての映画館に通っていた俺の思い出。
本当に、ごくたまに良作もあるが、残り大半はどうしようもなかった。
その多くの遺棄された作品群にこそ思いを馳せるのがリブートなんじゃないかって思うんです。
 
で、これはそういうどうしようもなさを感じさせるという意味で遣る瀬無く灌漑深い。
終盤のつるべ打ちが爆笑を誘発するほど破壊的なだけに大半の哲学ぶった内省が鬱陶しい。
 
70年代的な奇矯行為と内省的な自己陶酔に3本立ての大半の遺棄された作品群に馳せる遣る瀬無い感慨を覚える点で正しくロマンポルノのリブート作だ。ただ、終盤の釣瓶打ちが爆笑を誘発する破壊性を帯びただけに解体・再構築に更に意識的であって欲しかった。(cinemascape)