男の痰壺

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男はつらいよ フーテンの寅

★★★★ 2020年6月20日(土) 大阪ステーションシティシネマ

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シリーズ49作のうち46作を映画館で見ていて、これで残り2本。ステーションシティシネマで全作やるそうなのでチャンスである。

思えば、高校生の頃、秋吉久美子の「ワニと鸚鵡とオットセイ」目当てで見に行った2本立てで渥美清の話芸に衝撃を受けて以来であるから足かけ40年余りの道のりであります。

 

おそらく、山田洋次が大作「家族」にかかりっきりだつたからだろう。シリーズでこの第3作と第4作は監督が違う。倍賞千恵子も本作では江戸川土手の2シーンのみ、4作目では不在となる。

 

で、森崎東が登板した本作だが、否応なく森崎の泥臭さが色濃く出て新鮮であった。

のっけから、寅が旅先で投宿した宿での芸者をあげてのどんちゃん騒ぎが過剰だ。

ああ、やっぱこうなっちゃうのねの納得の異彩であって、シリーズも折にふれて違う血流を投入すれば面白かったかもと思わせた。

 

序盤の葛飾での見合い騒動のあと、映画は残りのほとんどが伊勢での旅館を舞台に展開する。

旅館の未亡人女将をめぐっての寅の一方的な岡惚れと失恋の顛末だが、旅館の使用人である左卜全野村昭子、佐々木梨里の3人が絶妙なコラボレーションで定番展開を完璧に補完する。ある意味、濃密な世界が完成されていると思った。

 

序盤と終盤に2度の寅の出立をさくらが見送る江戸川土手のシーンも、望遠レンズが薄靄のかかった情景を引き立て切ないまでの哀感が表出しています。

 

際どく表出する寅の男の性は寅屋の日常から切断された江戸川でさくらの慈母性に覆い包まれる。制約がもたらした情感。伊勢の旅館での顛末は番頭・女中連のコラボレーションが上滑る双方の想いを定位置に格納させる。充実のファルス。臨界線上で均衡した異形。(cinemascape)

 

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