男の痰壺

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白昼の決闘

★★★★ 2020年11月1日(日) プラネットスタジオプラス1
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これは、ある意味おったまげたと言っていいだろう。

デヴィッド・O・セルズニック、「風と共に去りぬ」「レベッカ」「第三の男」「終着駅」を手掛けた文字通りの不朽不滅の大プロデューサーであるが、あろうことか手前で脚本まで書いて妻ジェニファー・ジョーンズに主演させ、金も出すが口も出すのポリシーでやりたい放題の世界観を現出させた作品なんだと思う。ちなみな監督はキング・ヴィダーです、一応。

なんか、仄かにハワード・ヒューズの「ならず者」とかが被ります。

 

ほんとにアメリカ映画かと思うくらいにグダグダの男と女の腐れ縁が基軸となっている。まるで成瀬か増村、或いは「ベティ・ブルー」とかの欧州映画の粘度です。

そこに西部をとり巻く時代の容赦ない流れが押し寄せ世代交代がすすむ。「大いなる西部」の原型のような風情。グレゴリー・ペックが両作出てるが正反の役どころなのも面白い。

 

理知的な兄と粗野な弟がいて、女は兄に惹かれるが、弟に無理矢理て籠めにされる。なら仕方ないと弟に気を向けると男は逃げる。真面目男と知り合い一緒になろうとすると弟が戻ってきて真面目男を殺す。弟は更に兄も撃つ。

どんどん転がり落ちていく。

女はあまりの成り行きに自我が崩壊していく。

 

ジェニファー・ジョーンズが白人とインディオの混血の役所で褐色にメイクした肌がしっくりこないので今一魅力に欠けるのだが、終局になって吹っ切れてしまってからは凄まじいオーラを発散してとんでもなく美しい。

ラストは浄瑠璃の道行みたい。「曽根崎心中」が頭をよぎりました。

 

兄弟の両親がライオネル・バリモアとリリアン・ギッシュ、兄がジョゼフ・コットン、真面目男はウォルター・ヒューストン

渋いキャスティングです。

 

煮湯を飲まされ続け転がり落ちていくジェニファーの変遷がアメリカンな合理性から遠くセルズニックの西洋ロマン主義への傾倒を伺わせる。鉄道敷設の近代化が世代交代を促す原『大いなる西部』的悠久。そして腐れ縁は昇華されて浄瑠璃的に帰結する。(cinemascape)

 

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