男の痰壺

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逃げた女

★★★★ 2021年6月28日(月) シネリーブル梅田2

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一定の所与の反復条件を規定した3題噺。

 

主人公が女友達(先輩)を訪ねる→

飯を食いながら友達(先輩)の話を聞く→

近況を聞かれて「5年間亭主と離れたことがない」と答える→

再び友達(先輩)の話を聞く→

男が闖入してくる→

主人公が友達(先輩)の家を辞する

 

このパターンが3度繰り返される。

ダラダラ続くアドリブめいた会話と長回しとヘタウマ的なズーム使いといったホン・サンス調を規定する要素がほとんど狭雑物ゼロで提示される。そういう意味で極北かもしれない。

 

友達(先輩)の話や闖入する男は物語の帰趨に影響しない。影響しそうなのは主人公の話なのだが、それは亭主と5年間離れたことがないの述懐しかないのだ。それは3度繰り返されるが深掘りはされない。そんなの私だったらムリと言われても彼女は微笑んでるだけ。

が、しかし、3話目で「旦那を愛してるの?」と突っ込まれた彼女は「さあ」と言葉を濁す。

まあそれで観客は、ははーん、束縛する亭主に嫌気がさして逃げてきたんやな、と想像する。

とまあ、そういう話。以上。

なんじゃそれだが、だいたいホン・サンスの映画ってストーリーの起伏で勝負すると『それから』みたいに上手くいかないので、これでいいんでしょう。

 

今回ひっかかったのは、キム・ミニの撮り方で、彼女の正面からのバストショットとかがほとんどない。横からとか斜め後ろからとかばっかりで本人にとって不本意やろなと思いました。蜜月の終焉かもね。

 

グダグダ会話とヘタウマズームと男の不毛な闖入という所与の定型要件を備える3題噺で、どこにも転がってかない無為を味わうホン・サンスの俳句。感情の吐露を排され物質化するキム・ミニと廃されたユーモア。踵を返した彼女は空漠を見据えるだけ。(cinemascape)

 

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