男の痰壺

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家庭

★★★★★ 2022年7月11日(月) テアトル梅田2

正直、アントワーヌ・ドワネルものが性に合わないって思ってます。なんか、いいかげんな野郎がフラフラするだけの映画やんかと。まあ、これも、幸せな夫婦に子どもができて夫が浮気して女房が三行半突きつけてみたいなどうでもいいようなお話。

であるが、このどうでもいいことをどうでもいいと割り切って意匠をふんだんに盛って見せ切るみたいな芸当がトリュフォーにできると思ってなかったので斜め上から脳天を射られた。

 

歩くクロード・ジャドの脚を執拗に追う冒頭からフェティズムが炸裂する。夫婦の住むアパートの庭でレオが花の彩色作業。そうやってバカ売れする?なわけないわな。この仕事に対する不真面目な視点は中盤で新たに得た仕事が巨大な港湾ジオラマでの模型船の操船というバカバカしさで極北に至る。こういうのってジャック・タチだわなって思ってるとユロー氏のそっくりさんも出てきます。

アパートの庭と屋内を縦横に走り回る2人を追うカメラワークの滑らかな運動性はクタールかと思ったらアルメンドロスであった。こういう芸当もできるんやと思いました。

 

加えて中盤で投入される隠し球のキョーコ・ヤマダが強烈である。日本人女性がディスコミュニケーションネタの出汁にされたきらいはあるにせよ、ならなんで惚れるねんの男のバカさ加減も哄笑の対象となる。浮気がバレて帰ってみるとゲイシヤメイクのクロード・ジャド。もはやトリュフォー脳天爆発したかの香港映画テイストなガチョーン。凄まじいインパクトでした。

 

アルメンドロスの流麗なカメラの縦横性と意味を喪失した「仕事」のタチ味とディスコミュニケートなキョーコ・ヤマダという飛び道具が混在するが、香港映画と見紛うジャドのゲイシャメイクの衝撃が誘爆剤となり調和に至る。帰結のほろ苦さも絶品。(cinemascape)

 

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