男の痰壺

映画の感想中心です

過去日記2003上半期

上半期
1年の半分を過ぎようとしているが、見た映画が55本。年間100本ペースでは昨年の半分にしかならない。
一重に根性不足であった。気力が足りない。
…と思いつつも激しくしんどい。

宝塚はヒモ馬の連対で藻屑。滅多に買わない流し馬券で泣いた。通常通りボックスでいってれば取れてたろう…と言えば、昔、何かにつけて「鱈は北海道」と俺を諫めた或るばばあの顔がふと思い出され思いがけなく懐かしい。

俺の前を通り過ぎ去った数多のタイトルに想いを馳せながら上半期の新規公開映画の邦洋の各1本は
★★★★『アカルイミライ
★★★★★『アレックス』
2003年6月29日
独裁者
毎年増えてる国の借金600兆円だそうな。
国民の個人金融資産が1600兆円あるそうだから、なんやあ、まだ余裕あるやん、なんとなく一安心
…って、するわけないわ!アホンダラ、ボケ
国家公務員の給料ぜーんぶ半分にしたらんかい。
ほんで40歳で強制的に定年退職じゃ。若いあぶれとる奴はなんぼでもおるがな。安い給料でいくらでも働きよるで。
天下りは一切なし。過去10年間に天下ったじじいどもは給料と退職金全部国庫に返還じゃ。できんのやったら、首くくって保険金で払ったらんかい。
公共事業はぜーんぶ凍結。もらった賄賂は、とっとと返した方が身の為ぜよ。
所得税はゼロにする。替わりに消費税は20パーセントじゃ。発泡酒だ煙草だとチマチマすんのはヤメ。税金はみんなが公平に負担せんとな。
そんで、相続・贈与税は100パーセントやね。醜くて痛ましい事件もなくなるよ。それに、そうなったら、年寄りが溜め込んだ金は堰を切って消費に向かって流れ出すよ。一生懸命貯めたお金を誰もみすみす国になんか取られたくないもんね。
20パーセントの消費税で税収ガッポガッポよ。国債ぜーんぶ償還してスッキリ。
パックスジャポニカ!日本万歳!

やってやるぜ!俺が国権を握った暁には…。

しかし、ひとりで勝手にフィーバーする俺の脳裏に去来したのは何故か「脱糞男」のやけにさばけた表情であった。
ダメだ…。
2003年6月26日
ネグレクト
昨年の暮れ、冬の或る晩、7時頃。
帰宅した俺は、マンションの自室の前で数件先の家の玄関で所在なげに佇む幼き姉妹を見た。

その年の夏休み…
小学生の姉妹は幼稚園に通う隣家の兄弟と毎日のように遊んでいたが、やがて休みが明け、それぞれ小学校と幼稚園に通い出すと、いつしか疎遠になっていったであろう。

秋の夕暮れ…
鍵を持たない姉妹は閉ざされた我が家の扉を開ける術なく、近所の、かつて一緒に遊んだ年下の兄弟の家の前を行きつ戻りつしたかも知れない。そして、1度くらいは、その家の母親が気付いて家に招じ入れてくれたかもしれない。

やがて、母親の化粧が派手になり、姉妹は知らない若い男を家でみかける。

年が明け
母親と姉妹の姿を見かけなくなったことを近隣の主婦たちは口さがなく噂をしたであろう。

親たちは離婚し彼女たちは母親に引き取られたが、当の母親は精神科通いの日々だそうな…。

「ネグレクト」
ご立派な名前をつけて、もっともらしい弁解をしたって、言い訳になろうはずもなかろう。
どんだけ、てめえがしんどくたって、産んじまったもんは育てろ!
できねえなら、産むな!
ほんとカスだと思う。
2003年6月23日
マゾヒズム
先日、散髪に行った。3800円の近所の親爺の店を捨て、電車で4駅の1500円の店に鞍替えして半年。目が合う度に恨めしげな視線を放っていた親爺も目を合わせてこなくなった今日この頃。紫煙を燻らせて思いに沈む。

身を委ねて人に何かをしてもらうのは何故か快感である。そして、それが1歩間違えれば危険を伴う行為であれば何かが付加され、より深遠なる世界が人を誘うのであろうか?

散髪屋で親爺に髭を剃ってもらう。→剃刀を持つ手が滑って首筋の頚動脈を切り裂かれる。
歯医者で歯垢を取ってもらう。→ドリルを持つ手が滑って歯茎に穴を開けられる。
女房に耳掃除をしてもらう。→耳掻き棒を持つ手が滑って鼓膜を突き破られる。
マッサージのおばさんに腰を踏んでもらう。→脊椎を折られる。

危険に満ち満ちた日常。
疲弊した精神で、それを嬉々として受容する俺はマゾヒズムの深遠を覗こうとしているというのか…。

モーニングモーニング君の朝だよ
モーニングモーニング君の朝だよ

突如、わけもなく脳裏に去来した封印された歌詞。
いかんぞ!奮い立つのだ。自戒せよ。そして、思い出せ!
座右の銘「最後に笑ってやるぜ!」を…。

(注:文中マッサージと耳掃除は遥か彼方の記憶に基づいております。)
2003年6月18日
茹蛙
国民年金を支払わない人が増えてどうしようもないから、資産差し押さえ等の強行措置を導入するそうだ。5年遅かったと思う。20歳台では半数以上が支払ってないそうだ。罰則規定でもない限り、どっちみち破綻するのが判りきってるものに、すすんでお金を支払う気になるわけなく、こういう措置でも取らない限り今後、雪崩現象的にシステムは崩壊するだろうから、何かの抜本的手だてを打つまでの延命措置であるにせよやむを得ないと思う。
しかし、高齢者の負担を段階的に増やすとかの手だても所詮、延命措置にしかならないことは、誰もが気付いている。この先、どう転んだって逆ピラミッドの人口構成が変わるわけもない。今の施政者に望まれるのは真実を語ることだと思う。

「年金?あきまへん…アウトでんがな、もう。10年もちまへんな。今55歳以下の人は気の毒でっけどビタ一文もらえまへん。断言してよろしおます。基金はすっからぴんでんがな。えっ?何とかせえ?そうでんな。消費税20%にして相続税贈与税も100%にしまひょか。ほんで、役人の退職金も無しにしまひょ。そんでもって地方自治体は皆独立行政でいきまひょ。大阪なんか煙草と酒の税金ゼロにしてみなはれ、人口倍になりまっしゃろな。一気に財政黒になりまっせ。国はこの際ぜ~んぶ地方にお任せでいきまひょ。よろしおまっせえ。」
「えっ?無茶言うな?そうでっか…わかった!あんたはん、もしや今流行の茹蛙?」
2003年6月14日
無常
つまらん!
仕事っていうもんは
ほっんとうにつまらん!

つまらん!
金が無いってのは
ほっんとうにつまらん!

つまらん!
歯医者が終わらないのは
ほっんとうにつまらん!

つまらん!
腹と背中に発疹が出て
ほっんとうにつまらん!

つまらん!
女房が年柄年中怒ってて
ほっんとうにつまらん!

つまらん!
シネスケ休みで
ほっんとうにつまらん!

これにて「つまらん」シリーズ打ち止め
2003年6月11日
武豊
つまらん!
武豊って野郎は
ほっんとうにつまらん!

…って別に武豊に何の怨みもございません。
あんたの乗った馬が2着に来なくたって、俺の張った金は戻っては来なかったのです。だから、恨み辛みを言う筋合いはございません。
ただ、忘れた頃にやって来た、あなたの意地に、ふと忘れかけた苦い想い出を思い出したのでございます。

A Long Long Time A Go…
関西のとある競馬場でまことしやかに流布された1つの伝説。
1人の馬鹿ミーハーOLが土日の度に競馬場に通い詰め、「ユタカ~!ユタカ~!」と馬鹿のひとつ覚えに、あなたの乗る馬に金を張り続けたそうにございます。
彼女は、週が明けると「競馬ブック」や「Galop」という雑誌を買って次のレースを精緻に分析し続け、金曜の晩には「競馬四季報」を片手に徹夜で翌日の全レースを検討し、土曜ともなると始発電車で競馬場に向かい茶店でモーニングを食べながら又も新馬戦を検討し直し、200円の自由席入場券を並んで買い、お決に入りの席を確保し、やって来た顔なじみと蘊蓄をたれ合い牽制し合い、パドックと観覧席を脱兎の如くに行き交い、馬が糞すれば「根性すわっとる」と自信を持ち、小便すれば「ビビッとる」と自信を無くし、馬体重とオッズを見て悩みぬき、なけなしの金を祈るが如き思いで券売機に投入し、結果メインが始まる前にはオケラになって侘びしき帰路についたであろう、大方の競馬ファンの蔑視と突き刺さる視線なぞは多分、金輪際感じることは無かったことでしょう。

結果、彼女はマンションを購入したとのことでした。

教訓Ⅰ:メインストリームに逆らってはいけないし、忘れてはならない。
6月8日。安田記念
2003年6月8日
大滝秀治
つまらん!
ダービーなんて
ほっんとうにつまらん!
(以上6月1日早朝記す)

(以下6月1日夕刻記す)
…と、午前中に書いたが、
700円の馬券を1000円だけとは言え1点買いでハマると気分よかですたい。
はあっはあっはあっ…。
安田も買うかも。
2003年6月1日
無惨
ジャンボ宝くじで3億円が当たった。税引き後の残りが2億4000万。ローンの返済に2000万を回し、親たちに「今まで迷惑かけたな…ふっ、これで老後つつがなく仲良く暮らすんだぜ」と各1000万ずつ渡した。女房に1億渡し「ちょっくら旅に出らあ。しばらく、これでしのいでおくんなせえ」と言って家を出て、実は旅になんか出なくて市内でマンションを借りた。会社では「いつまでもこんなことやってたって先が見えてまさあ、男一匹最後の勝負に打って出させておくんなせえ」と言って辞めた。平日の昼は映画を見るかパチンコをして過ごし夜は昔のポン友を呼び出して新地で遊びまくる。で、週末は競馬場に入り浸るか地方開催に出かけて、ひなびた温泉宿に逗留し小説家を気取る。何故か勝ちまくり手元資金は何倍にも膨れた。お金の回しどころに困って株と不動産に投資した。不景気の波は底を打ち、20年の下げ相場が反転、又もや資金は何倍にも膨れ上がった。そこで、ふと思うだろう。「生きてるって素晴らしいことだったのねんのねんのねん」

こんな夢を見た…。
土曜の早朝。スカスカの電車の中で。
2003年5月24日
虚空
去年の5月のことを思い出す今日この頃。
ひたすら金が無かった。
そして、今…やはり金が無い。
釣瓶打ちに襲いかかる固定資産税と車検と団信と車両税と幼稚園と…
「金貸してくれ」言ってくる人々。

昨日と今日で連続で3人から「金貸してくれ」と言われた。勿論、生まれて初めての経験であった。元来、俺は貸せるような金を持っていたためしがなく、又持っているようにも見えないし、今まで回りにいたのがたいして金に苦労してなさそうな連中が多かったので、そういう経験が無かっただけなのだろう。本当に金に困ったら見境は無くなる。そっち側の立場であったら何度も経験してるのでわかるのだ。
流れの営業親爺(注:「流れ者」参照)からの依頼は即断った。本当に面の皮の厚い親爺である。消え入りそうな電話口の声を聞いて、むしろ溜飲が下がる思いであった。ただ、その後がいかんかった。
A「お袋が入院して入院代出すの俺しかいないんです」と
B「田舎の親爺に頼まれて5万都合せんといかんのです。少し足りなくて…」
でAはともかくBは「そんなんほっとけ」と思ったが流れで頷いてしまった。どちらも正直、胡散臭いと思えば思えなくもない。本当なのかもしれない。わからない…。

わかるのは自分がどこかで金借りないと仕方ないということだけ。
そして、今激しく自己嫌悪におちいる。

しかし、今これを書きながら何故か心に浮かんだのは…
「彩ちゃんきゅ~」であった。
毎日は虚しい。
2003年5月20日
破綻
「りそな」が破綻した。
破綻したのに会社も上場してる株も存続とは、まあ結構なご身分ですなあ。何かと言えば「公的資金」言うけど、せんじつめれば人の税金ですがな。
株価が上がらないと言って、あれこれ小手先の政策打っても、膿を持った傷は何時までたっても治ることはないのと一緒で、上がるわけないよ。この際、もう歴史的役割を終えた銀行には早々に消えてもらった方がいいね。
銀行が消えれば、資金は否応なく株式市場に流れ、手始めに「キャノン」や「日産」とかの株に向かった資金は、やがてベンチャーキャピタルにも流れるであろう。
お金がグルグル回れば、ドス黒く死んだ体も、やがてピンク色に艶を取り戻していくのだ。

「えっ…何?ごちゃごちゃ横からうるさいな…今、日本の将来について深ーい思考をめぐらせてるんやからだーっとらんかい!…何?今何と言った?俺の給料りそな振込みやて
…そりゃあかんわ」
2003年5月17日
不寛容
憎悪に満ち満ちた半年であった。
愛と寛容を旨とする俺は出向先で変貌したのだ。
「こいつら、本当はめっちゃズルイ奴らなんちゃうか?」
ふと芽生えた疑念は増幅し見るもの聞くもの何でもかんでも裏がありそうに思えてくる。
年初から、人を斬ることだけ考え
「お前ら、今に泣き入れるくらいに生活グッチャグッチャにしたるからのう…へっへっへっ…」
そんなことばかり考えていた。

で、昨日、呼び戻された本社で
「噂は聞こえてきてるけど、仲良うやらにゃああかんぞ。そんな思ったようにスパスパ変えていけるなら苦労せんがな」
「…はい」
「お前と同じに入った○○なんか、あんじょうやってるがな。若いのも伸びてきとるし、代わりはおるねんで」
「くっ…わかりました。」
で、○○に話を聞きに行ったら、本当にあんじょう巧くやっていた。正直、目鱗の部分も多々あった。

そう、思い出すのだ「愛と寛容」の心を…。
と、自分に言い聞かせてみた。
しかし、何故か心に浮かんだのは
「キェシロフスキとゴダール…」だった。
あかんと思う。
2003年5月10日
夢枕獏
今日、本屋の新書コーナーで「荒野に獣慟哭す完全版」なるものを見て夢枕獏に見切りをつけようかと思った。あとがきを見ると5巻を完結するのに大変な時間がかかったので手に入れられなかった読者の為に、又間があきすぎて連読できなかった読者の為の御配慮であるらしい。
てめえの怠慢を年がら年中御丁寧にあとがきで言い訳してるくせに儲けんかなの新装再販は俺の知る限りでも「獅子の門」と「キマイラ」に続いてである。本当に安からぬお金を払って本を買う読者を嘗めきった態度は傲慢と奢りの極みである。
しかも、明らかに緩んでしまった自身の筆致に気付いてもないらしいのが哀しい。
かつて西村寿行の初期作品(のみ)に信奉の念を綴った自身が「魔獣狩り」のみの作家と思われる日も遠くないことを知るべきである。
2003年4月28日
続・歯医者
かれこれ2週間以上歯医者に通っているのですが、1本が2本、2本が3本と次から次へと知らぬ間に治療されていて、いつまで経っても終わりません。ここのとこ、睡眠時間も少なく、診療台を倒されて体が水平状態に近づけば、あっというまに寝てしまうのです。昨日は気付いたら1時間半経っておりました。ほとんど、その間寝ておりました。以前に神経を処置しているので、痛くも痒くもなく、たまに奥深くの機能している神経にドリルが触れたときだけ、体が痙攣しクワッと眼を見開き周囲をギョロリと見渡して、でも又すぐに寝てしまう。…多分、相当に不気味な患者だと思います。
「大丈夫なんですか」
治療後に「お口のお掃除」をしてもらいながら脱力しそうな心地よい天使の声でしみじみ言われたときには
「このまま永遠の眠りにつきたい…」
心からそう思いました。
しかし、そのあと、先生が来て
「次は歯茎ひっぺがして中の骨削ったろかな」
そう言われて天国から地獄へ突き落とされたのでございます…。
(つづく…つづきたくないが…)
2003年4月25日
歯医者
歯に詰めていたものが取れて何年ぶりかで歯医者に通っているのだが、さすが都会の歯医者さんは豪気だね。若い女の子の助手がわんさかいてさ、合間合間にいちいちお口のお掃除とか、歯垢落としとか、ご丁寧なことこの上ないね。俺っちときた日にゃあ風俗とかもかれこれ10年以上行ってないもんでね、免疫薄れちまっててさ、5センチほどの至近距離で顔と顔寄せられてヤニまみれの小汚い歯をシコシコほじられたりした日にゃあ恥ずかしいような嬉しいような微妙な気分になっちまうってもんよ。昨日なんてさ、昼休みに行ってほじってもらってたら、女の子の腹がキュルルと鳴りやがてさ、何かバツが悪くて気づかないふりしてたんだけど、これが又執拗に鳴り続けるのよ。さぞ恥ずかしい思いをしてるだろと気の毒になったんだけど、まあ、シラっとしたもんでさ。平然と俺っちの歯ほじくり続けるんだもんね。一体、どこに行っちまったのかね、大和撫子ってのは。俺なんてさ、結婚して初めてカミさんが俺の目の前でおならしたときには双方が凍りついたように5分くらい凝固しちまったっていう、そういう世代なもんでさ。もっとも今では何とも思わなくなっちまったけどよ。まあ、ともかく、憂鬱な歯医者も、そんなことでもなけりゃなかなか行き続ける気にはなりゃあしないってわけで、医者もどんどん淘汰されて更なる顧客サービスに目覚めて欲しいね。
2003年4月16日
入園式
園長先生が話している間も雛壇の前にしゃしゃり出て馬鹿みたいに自分の子供に向かってビデオカメラを回し続ける親。
担任の先生が父兄に説明している間も走り回り騒ぎ続けるガキを諌めることもなく、ビデオカメラを回し続ける親。
多分、今時の幼稚園の催し事の一般的な風景なのだろうが、こういった自己中心的な親たちに育てられたガキは当然のように自己中心的な大人に育っていくであろう。
少数派ではなく過半数がそうなのだから、この国の将来も暗い。世界のモラリズムの規範から日本は間違いなく逸脱していくであろう。
こういう親もガキも死滅して欲しいと思う。
2003年4月14日
週末
睡眠不足と疲労が重なって雨に打たれ体が冷え切って、それで腹が減らなければヤバいかもしれないが、すごく空腹で、それを極限まで我慢したときに、コンビニおにぎり1個、或いは1杯のカップ麺でも至福をもたらす。他のことが全然うまくいってなくても、とりあえずはどうでもいい。缶ビールとつまみを買って部屋に行き瞬く間に眠りに落ちるだろう。
とにかく明日1日過ぎれば日曜は休める。
2003年4月4日
涅槃
「おやじ…涅槃で待つ」
何故か飛び降り自殺したレスリー・チャンの記事を見て沖雅也の今際の言葉が脳裏に去来した。

自分にはその人しかいない…。
恋愛の渦中にいれば誰もがそう思う。そして、それを失う恐怖は耐え難い。
でも、必ず時間が癒してくれる。

かつて、泥酔いし、それでも足らずに夜中の2時から車に乗り、宝塚から中国自動車道に乗って170、80キロでぶっ飛ばし続けたことがある。窓は全開し風で前も見定められない状態で何かをひたすら叫びつづけていたように思う。
やがて、空が白み始めたとき、下関であった。
正直まともな精神状態ではなかったし泥酔してたとあって事故っても何の不思議もなかった。

今、それほど良いことも多くはないけど、とりあえず生きていてよかったとは思っている。
そんなもんですよ…愛なんて…って醒めすぎか…。
2003年4月2日
掃除
流行のステップよりも
好きなダンス踊りたい
誰だってそうだろう本当は
あんただってそうだろう

The Street Sliders
2003年3月30日
古尾谷雅人
初めて映画の中で彼を見たのは78年の「人妻集団暴行致死事件」で俺が高校3年生のときであった。真面目なサッカーに打ち込む高校生であった俺には劇中の無軌道な3人組の若者に共感する術はなかったが、一際タッパの高いリーダーの青年が不気味な存在感で古尾谷雅人という名前は心に刻また。ロマンポルノ中心に5本出たらしい。
大学生になった80年。その男が大森一樹のATGの新作に主演すると聞いた。「ヒポクラテスたち」というその映画は本当にいい映画だった。古尾谷くらいの存在感がなければ、その周囲に流される主人公はもっと影の薄いものになっただろう。
極私的な思いで言うなら、同時代の若さの狂気を体現出来る役者として「狂い咲きサンダーロード」の山田辰夫と常にリンクして見ていた。そんな彼も「九月の冗談クラブバンド」あたりを境に輝きを失っていく。
そして20年の月日が流れ、忘れない程度にはTVや映画に顔を出す彼のことを余り意識することもなくなっていた。
享年45歳だそうだ。男にとっての最も輝ける年齢期はエアポケットのような深淵の闇にも気付かぬままに隣合っているのであろう。
自戒し鼓舞し生きろ!…って出来そうにないかも…。
2003年3月28日
赤紙
「今、俺に赤紙が来たら即行くね」
先週、職場の若い衆がのたもうたお言葉です。
赤紙来んでも、とっととイラクでも北朝鮮でも行って死んで下さい。
死ななくとも地雷踏んづけて両足無くして神経線維が空気に触れる喜びを思う存分味わって下さい。
両目潰して光の無い世界の素晴らしさを一生満喫して下さい。
自分のはらわた見れることなんか、そうそうないのですから、十二分によく観察してみて下さい。
女房、子供が路頭に迷っても逞しく生きていけるか楽しみですね。もっとも、それを見届けることは叶わないわけですけど…。
運が良ければ好きで仕方ないゲームみたいに人殺す快感を感じるチャンスに恵まれるかもね。
早く日本もミサイル打ち込まれて、望むような機会が訪れるといいですね。
では又。
2003年3月24日
ホームレス
深夜から早朝にかけ地下街やターミナルに集う人々…。
40歳を超えていて、全所持金が1万円もなく、当然、働き口などある筈もなく、かといって泥棒や強盗する勇気もない。身寄りは無く、あっても10年以上音信は交わしていず、頼るものもないかわり、捨てないといけないものもない。楽しくなく、生きてる意味が分からなくなっても、死ぬ勇気もない。1年ほど前までは、「死ぬ気で頑張る」と心で思うこともあったが、今では気力の源泉は枯れ果てた。
「世の中が悪い」とか「政治が悪い」と人のせいにするのもムカつくが
「自分が悪いんだろう」と言い捨てるのも抵抗がある。数年前なら俺もそう言っただろう。だが、1つ何かを掛け間違えれば、いつでも、俺だってそうなり得ると今では思う。

大声で誰も居ない空間に向かい延々と怨嗟の言葉を吐き続けるおっさん…
八方塞りの泥沼は遣り切れない。
2003年3月15日
グリーンジャンボ
ひと昔前には日本の個人金融資産は2000兆円と言われた時代があった。今は1600兆円だそうだ。随分と減ったもので、多分、大半が国債という最終形で吸収され、破綻企業の不良債権処理に回ったのであろう。
おそらく大半の人は自分が貸した金が他人の借金の尻拭いに使われ無くなったら怒るだろうに、銀行や生保が間に介在すると人事のようにしか感じないのであろう。

自らのシステム上の役割を放棄し単なる「金貸し」に成り下がった銀行、生保。空前の国債発行残高を問われて日本には世界一の個人金融資産があると「金持ちの道楽息子」みたくのたまう政治家。軽自動車なみという650キロの金庫を買いあさる「能無し年寄り」。
総人口の1パーセントに満たない人たちが無意識に演出するシナリオの結末は…。

ああ何とかグリーンジャンボ宝くじ当たりますように…。
                     網走にて(←嘘)
2003年3月7日
蝙蝠(こうもり)
私は蝙蝠。
獣の仲間にも鳥の仲間にも入れない孤独な蝙蝠…。
とまあ、感傷的にもなる今日この頃です。

今の会社に拾われて早1年半。出向という憂目にあって半年が過ぎました。拾われたA社の社員だった私はB社と共同出資で作られたC社に遣られたのですが、そこはB社の連中が仕切っている世界だったのです。正に孤立無援の外様でございました。しかも、1年前に切り込み隊として派遣されたA社の先輩は目が届かないことをいいことに放蕩の限りを尽くし金を使い込んで解雇されていたのです。使い込んだ金で社員を術中に入れやりたい放題でC社の連中は「素晴らしい方でした」「惜しい方がお辞めになった」などと言う始末。その後釜となった私は、正にジャングルの奥深く、かのカーツ大佐が築いた暗黒帝国に単身乗り込むウィラード大尉の心中かくやの心境でございました。
私も勿論、馬鹿じゃあございませんので、最初は彼等のやり方にも馴染むようにし、少しずつ矯正を謀ってきたのですが、矢張り、人間一旦甘い汁を吸ってしまうと忘れることは出来ないみたいですね。ちょっとやそっとでは治らないことが解ってきました。かくなる上は、かのウィラード大尉がしたように帝国を破壊して去って行こうかと思いましたが、路頭に迷う残された家族を思うと出来ない相談でした。
絶望の淵に立ち、街中を彷徨う私の目に飛び込んだ1枚の映画の看板。
「新仁義なき戦い 謀殺」
吸い込まれるように私は映画館の闇に身を投じたのでございます…。
(以下つづく…つづかないかも)
2003年2月20日 (水)
宗教
先週、アルバイトのA君が危険信号(逃走するかも知れない)を発しているのを、ここ2,3ヶ月で嫌がおうにも身についてしまった動物的嗅覚で察知した俺は、すかさず彼を飲みに誘ったのだ。
彼の発していた危険信号とは、すなわち…
「ぼくも、もういい歳ですから…」
「こんなんしてていいのかと最近ちょっと…」
とかの、日常会話の端々に現れるサインである。そして、俺は想定問答を無い頭で構築し、
「今の求職状況はお前の思ってるほどヤワじゃあないぜ!」
「他の仕事決まってからでいいんだよ、ここ辞めるの、ねっ」
とかの何の足しにもならない答を一応用意したのだが…。

居酒屋で席についた俺に彼の発したことばは
「出家しようと思ってるんです」
であった。
「えっ…」絶句する俺。
「実は、ぼく○○の信者なんです」
「えっ…」後ろずさる俺。
○○とは何年か前に景山民夫小川知子が入信してるので話題を呼んだ新興宗教の名前であった。そして、彼は自分の人生を語りだしたのである。色々な挫折があったらしい。で、結局
「ぼくには、もう他にないんです。」
ときた。
正直、その教義を知ってるわけじゃないし、そもそも宗教とは生まれてこのかた殆ど無縁だった俺には本当に「他にない」のかはわからない。
ただ、「他にない」者ばっかりを終着点として集めている宗教は、やっぱり嘘臭いと思う。「他にある」者が、それでも疲れ果て、再生せんが為の休息所、救済所として機能するなら宗教は素晴らしいものと思う。だが、臭ってくるのは、敗者がすがる一種の選民思想的、ユートピア的胡散臭さのみで、全く信じる気がおこらない。
世間では疲れきった人々が満ち溢れている。新興宗教が、それを次々と食いつぶしていくのであろうか。
2003年2月10日
浅田次郎
先週、「壬生義士伝」という映画を見た。
実は原作者の浅田次郎のことを俺は秘かに心の師と思ってた時期があったのである。
94年か95年頃であったが、丸1年競馬場へ通った時期があり(と言っても仁川か淀で開催されるときの土曜日→何故土曜日かと言うと土曜でオケラになるから日曜は行けなかったのである)、競馬の虫と化したことがあったのだ。
死ぬほど経済的に困窮を極めて、だから、何かの活路が欲しかったのだと思う。しかし、そこには活路は無く、更なる「苦」が待ち受けているだけであった。
そんな、或る日、本屋でたまたま手に取った「競馬の達人」という本があった。帯には「俺は競馬で喰ってるぞ~闇の馬券師がバラした仰天必勝法」と書いてあった。著者近影の写真はサングラスをかけた、どっからどう見てもその筋の人にしか見えなかった。どうせまがいもんだろうと思ったが、少し読んで即買った。何故なら単純に滅法面白かったからだ。文章が巧く、散りばめたユーモアが粋だった。そして、何より、生活者のリアルがあり、星の数ほどある数多の指南書とは違い論法に納得性があった。買って帰った日に一気に読み通し、そして、翌日から、赤ペンでマーキングしながら再読して頭に叩きこんで週末、淀に向かったのだ…。
900万を2レースと1500万を1レースの3レースを連覇し29万の利益を叩き出した。その日、俺は「これで喰って行ける」と確信した。その確信は、翌日の第1レースの新馬戦で1本かぶりのド本命に単勝で20万をブチこんで負けても、そして、その後半年負け続けても消えなかったし、「浅田次郎」の名は相変わらず神であった。しかし、やがて転勤で大阪を離れ、馬券とも遠ざかる。
96年の或る日、喫茶店で読んだ週刊誌の書評欄で激賞される「蒼穹の昴」の著者名として「浅田次郎」の名を発見する。そして、翌97年には「鉄道員」で直木賞を受賞し時代の寵児となっていくのである。
今、かつての神の処女作「競馬の達人」は本棚の隅で埃をかぶっている。だが一方で、俺は浅田次郎原作の映画を見に行って涙を流す。
2003年2月2日
債権放棄
金貸しは「ベニスの商人」の昔から嫌われると相場が決まっている。数年前に「日栄」から「商工ファンド」へと波及した焦付き無担保ローンの強烈な保証人への取立て騒ぎがあった。世論は、全て貸金業者=悪の構図で形成されマスコミがそれを煽った。「腎臓売れ」といった取立ての際の脅し文句は格好の標的とされた。
実は、数年前、勤めていた会社が潰れて再就職活動をしたとき、「商工ファンド」の面接を受けたことがある。(大騒ぎになる1年ほど前だったと思う。)3次面接で聞いた話が面白かったので覚えている。
「実際の営業店での具体的な日常業務を教えて下さい。」
「うん、タウンページってあるよね、職業別電話帳。あれ見てかたっぱしから電話するんですわ。」
「…そんなんでうまくいくんでしょうか。」
「うん…実際してみたらわかると思いますけど…お客さんは皆、口をね、こうやって、あんぐり開けて待ってるんです。そこにね、札束をぽんぽんっとね、放り込んでやるだけです。」
「はあ、そんなもんなんですか」
結局、他の会社の採用が決まって最終面接は断ったが「面白そう」と思ったから覚えているのだ。
お金を貸すからには担保を当然取る。しかし、高利の商工ローンに頼らなければ明日の手形が決済できない人達は当然、担保など持たない。無担保ローンを標榜するからには代替の担保が必要でそれが保証人というわけで、半ば貸す方も借りる方も貸し倒れになることを心中予見している。保証人を口説き落とすことこそが両者の当面の利害を一致させ得るのだ。…そして、借した金は踏み倒され、保証人への追い込みが始まる。
債権者と保証人の構図でのみ取り上げられたこの問題で決定的に欠如しているのは、債務者と保証人の関係であり、又、保証人となった人々の現実認識の甘さである。
先週、「みずほ」の「熊谷組」への債権放棄が報じられたが、貸主が貸した金をどう処理しようが知ったことじゃないけど、挙句「みずほ」本体が手を挙げたとき、そこへの貸主たる預金者は物分りのいい態度で応じられるだろうか…。

俺は多重債務地獄の経験もあるし、職場への貸金業者の追い込みも過去に経験している。借りざるを得ない気持ちは分かる。
しかし、今、貸した者の苦渋を舐めているのです。(たったの3万円なんだけど…)
2003年1月27日
流れ者
「流れの○○」という人達がいる。特定の組織に属さず磨き上げた己のスキル1本で荒稼ぎして何処ともなく去っていく。映画や小説や漫画では好んで取り上げられる。(黒澤明「用心棒」、船戸与一「山猫の夏」、手塚治虫ブラック・ジャック」…キリがない)
かっちょいい~!ってか?

その、おっさんが初めて俺の前に現れたのは、数ヶ月前のことだった。凄腕のセールスと聞いていた。そして、ボサボサの伸びた髪に無精髭、ちゃんちゃんこを羽織ってチャリンコに乗って現れたおっさんを見て俺は感動した。大阪のド真ん中のオフィス街で、この風体で仕事をし、成果を出すのか?…と。

今、フルコミッションの営業職に人が大量に流入している。そこしか、リストラされたビジネスマンを吸収できる場所が無いからだろうが、ビジネススーツで決めた彼らの大半は成果が上がらず消えていってしまう。
そんな中、嘘みたいに結果を出してくるおっさんは輝いて見えた。かっちょいいと思った。
そして…逃げられた。あとに残ったのは嘘八百の契約書と報酬として支払った金の領収書。そして、あろうことか、個人的にも金を貸してしまっていた。
今、空しく毎日、繋がらないケイタイに電話を入れている。

それが現実。
しかし、貸した金が戻らないと苦しい…。
2003年1月24日
クーリングオフ
昨夜、義母から電話があり、女房に相談があると言う。何でも、義父が訪問販売の兄ちゃんにほだされて、40万円相当の浄水器を勝手に買ってしまって難儀していると言うのだ。
正直、「買っちまったもんはしゃあないやん」と思った。が、息巻いた女房は「私が電話したる」と言っている。晩の9時半過ぎであった。てっきり翌日するのかと思ったら、いきなり電話しやがった。「もう、いるわけないやん」と思ったが担当者は居たのである。
延々1時間、俺は聞き耳を立てていたが、電話口の向こうの若いらしい、営業マンの思いが俺には手に取るようにわかった。
十中八九、100件中99件はインターホンを叩き切られる「浄水器」のセールスで、その日、何十件も足を棒にして歩き回ったであろう、かけがいのない1件の契約。何とか成果無しで終わらずにすんで、ほっとしたその日の終わりにかかって来た悪夢の電話。
最初は威勢が良かったらしい電話口の声も最後は蚊の泣くような声になったという。泣いていたんだろう。その血で滲んだ涙が俺にはわかる。
会話の最中に頻繁に聞こえてきた「クーリングオフ」という言葉。一見、なんと便利な制度だろうか。しかし、それが一般的に認知されればされるほど、商契約の真実味は形骸化され衰退の方向に向かう。
借金を踏み倒す「自己破産」もしかりと思う。
2004年1月16日
商品取引
今の会社に出向させられてから、何故か商品取引の勧誘の電話が頻繁にかかってくる。2つの点で非常に萎える。仕事中にかかって来るから腹がたつわけではない。
①土台ターゲットが間違っている。その日の米代にも苦労している男がどうして相場を張れるだろうか。それは彼らには知るよしもないことだから、出来るだけ懇切丁寧に恥を忍んで説明してあげるのだが、それでも執拗に食い下がって来る彼らの無為な努力に対して萎えるのだ。
②商品取引会社というのは、社名がわかりにくい。「○○貿易」とか「△△通商」とか「××商事」とかつけてて何を売り込みに来てるの判らんのであるから正々堂々と「商品取引のお勧めでお電話させていただきました」と言って欲しい。それを何か後ろ暗いものでも売り込みに来たかのように本題を言わない。彼らが悪いわけではない。事実、それを言った途端に100件中99件は電話を叩き切られることであろうこと位わかる。リスクに肌身を晒すことに慣れない人ばかりの日本で、そういう勝算の無い営業努力行為を思い萎える。
俺は馬鹿みたいに実施延期を繰り返す「ペイオフ」が1000万といった中途半端な除外対象も取っぱらって、とっとと実行されればいいと思っている。そして、可愛そうだが虎の子の100万の貯金がぶっとんだお年寄りが続出すればいい。そして、アホな銀行が作った仮需が清算されて1から出直す。そのとき、初めてリスクに晒された日本人は「投資」に向かうだろうし、滞った血は流れ出し、新たな活力も生み出されるだろう。
いづれは商品取引の会社に勤める人たちが先輩達の過去の苦労を不遇な時代の昔話として語り合える日が来るであろうか…。

インスパイアされた著書:邑上竜「愛と妄想のファシズム」「希望の国のエクスタシー」

最後に俺は商品取引会社に勤めたことは無い。
2003年1月9日
寂寥感
しまったと思う。
何がと言うと京都金杯であった。買わないのに当たってしまった。3歳牝馬ファインモーションが1番人気になった昨年の有馬と同じで、1度も重賞で勝ち負け無しなのに良血というだけで期待先行の1番人気モノボライザーは消しだと思っていた。実績からは①⑤⑦⑧でトップハンデの①⑤を消して⑦-⑧本線と思っていたのだ。
正月は1度もどこにも行っていず、さすがにヤバい雰囲気で「エキスポランド」に行ったが、寒かった。強風が吹き荒れ体感温度は限りなく絶対零度に近く、正月最後の休みというのに人気まばらで、乗り物も強風で動かず、寂寥感が漂う風景であった。USJに客取られてるのは解ってはいるが、嘗ての万国博覧会の栄華が脳裏を横切り限りなく寂しく侘びしかった。これでは、香川レオマワールド、神戸ポートピアランド、宝塚ファミリーランドに続くのも遠からじと思う。うそ寒い中を肩をすぼめて彷徨う家族はやがて早々に帰途に着いたのでありました。
帰って競馬の結果を見て朝コンビニで買ったサンスポに書かれた赤ペンの⑦-⑧、⑦-⑮、⑦-⑯、⑧-⑮、⑧-⑯の印が更なる寂寥感を俺に植え付けた。
冴えなく幸先悪い、この始まりが、やがて来る栄光へのプロローグであらんことを切に願う。
2003年1月5日
古時計
おおきなしなびたふるち○ぽ
おじいさんの○んぽ
100ねんいつものびちぢみ
ごじまんのちん○さ
おとうさんのうまれたあさも
はたらいてたち○ぽさ
いまはもううごかない
この○ちんぽ

そんな一生で終わりたい。

謹賀新年。本年もよろしく。
2003年1月3日