★★ 2019年3月30日(土) シネリーブル梅田1
![イメージ 1](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kenironkun/20010101/20010101013340.jpg)
体調も悪かったが、始まって10分もせずに意識が遠のく。
意識が戻ると主人公が彷徨っている。
集中せねばと気を引き締めてまもなく意識が遠のく。
意識が戻ると主人公が彷徨っている。
とまあ、彷徨い続ける主人公は他者や状況と関わり続けるが退けられ続ける。
カメラは目途のたたない彼女の彷徨をゆらゆらと追い続ける。
「帽子屋」、「兄」、「革命」などキーワードは多く提示されるが、それが提示に留まりまくる。
そして、放逐される。
観る者の心は置き去りされまくる。
監督の意図はそうすることにあったというなら、勝手にやってくれと言うしかない。
でも、それってマスターベーション」にすぎないんじゃねえか。
さすれば、ラストのギミックはなおさら白々しい。
迷宮を創出すべくして捻り出された世界は内実を伴わないので、主人公が関わる外界は人も状況も返信不能の幻にすぎない。そういった形骸の物語をカメラの粘着的な追尾移動に託すのは、最悪の喰い合わせだ。時空を跳躍するラストのギミックは泥縄めいている。(cinemascape)