男の痰壺

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アマンダと僕

★★★★ 2019年7月29日(木) シネリーブル梅田3

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アマンダが如何にもな子役めいた可愛いさないのがまず良い。

こどもってのは、大人からみたら何考えてるのかわかんないところがあるし、ときに聞き分けなく自我をモーレツに押し通そうとするもんだ。

であるから癇に障るし、うっとおしい。

それでも、やっぱり純粋ではあるし、一途で幼気ない。

 

この映画では、叔父さんである「僕」と姪のアマンダとの距離感がまったく納得性があって、いわゆる映画的便法にのっかった定型は排除されている。

シングルマザーであった姉を無差別テロで失い、若い独身の自分が、その子を面倒みるのは正直、重荷であるし、養護施設を見にいったりもするんだが、決めかねる。

劇的な誇張もなく、結局は引き取るのであるが、彼の日々を綴った映画の展開から、観る者は自然と納得するだろう。

 

淡々と、それでも内実では激しく葛藤する人と人とのかかわりあいを描いて、エリック・ロメールの話法を彷彿とさせる。

 

終盤で幼いころに一家を捨て英国に渡った母と邂逅するのだが、これがグレタ・スカッキなのだった。大年増になっててびっくりした。

 

劇的誇張を良しとせぬロメールの嫡子だが、その行間から漏れ出るアマンダの瞬間的感情の奔流。幼な子は我儘に自我を押し通す一方一途に思いを見つめ続ける。ラストはその煌めく結晶のような具現化。大年増化したスカッキの一点突破の登用も希望の標。(cinemascape)

 

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