男の痰壺

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マルリナの明日

★★★ 2019年6月22日(土) シネヌーヴォ
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ナシゴレンエスタンと称されてるらしいが、思っていたのと随分違った。
マカロニウエスタンに見られるような活劇的なものは、ほとんど無い。
土俗的で説話的で、俺はちょっとグラウベル・ローシャの「アントニオ・ダス・モルテス」が頭をかすめた。
 
リアリズムとは遠い。
殺した盗賊団の狩猟の首をはねて持ち歩くのであるが、インドネシアの高温多湿な風土では、あっというまに腐敗してハエなんかがブンブンたかりそうなものだが、その生首はずーっと原型をとどめている。
そのへん、ペキンパーの「ガルシアの首」なんかでは一応はふれられていた部分だ。
 
首を切られた死体が、あとをついてきたりして、これも横浜聡子の「ウルトラミラクルラブストーリー」を思い出すのだが、あれと違って首なし死体は彼女に影響を与えることはない。
出してみただけな感じがする。
 
結局のところ映画が修練していくテーゼは、男ってのはひどいやつばっかで、虐げられた女性は立ち上がるべし。
みたいな、ありふれたフェミニズムの類型にすぎないみたい。
それは、いいのだが、女性監督の生理はとことんの地獄を見せきれずに忌避する。
生半可な感じがするのだ。
 
女性を取り巻く過酷な現実は生首が腐らない説話的な無菌世界で封殺される。リアルな地獄とのたうち回るような怒りの発露でなく行者のような無常観が蔓延するなかで、男どもは須らくクソ野郎で、それでも女は新しい命を育むってのは形骸的な女性賛歌に見える。(cinemascape)