男の痰壺

映画の感想中心です

荒野の決闘

★★★★★ 1983年12月7日(水)  阪急シネマ

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散髪後にボーッと柱に足をかけて椅子をくゆらすフォンダの風情に感じる束の間の安息やクレメンタインとの慣れないダンス。肺病のドクや悪たれ親爺クラントンも各々味わいあるが、この映画に描かれた男たちの安らぎには涙を禁じえない。(cinemascape)

 

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さくら

★★★★ 2020年11月15日(日) MOVIXあまがさき3

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昔、原作を読んだ覚えがあるがほとんど忘れてました。

 

父母と長男・次男・長女の5人家族の一家の変遷史であり、次男が大学生になった現在から過去に遡及していく。

家族がひとつであった幼少期があり、子らが自我に芽生えて各々の世界を確立していく高校時代がある。

といった、まあ、普遍的なドラマがあるが、それが西加奈子原作の中島らもから連なる関西的な加虐をシャレで笑い飛ばすテイストが縁取る。

幼少期に公園に出没する「変な人」の挿話があるが、日常の中にそういった人たちがいた時代は目の触れないところに隔離してしまう現在の欺瞞を照射する。

 

高校時代の3人3様の恋愛があって、やがて転機となる事件が起こる。物語は暗転していくが、結局は皆が哀しみを呑んで噛み砕いて時間が薄めていく。再び前を向いて歩いていくしかない。そういう達観とポジティブさがある。

 

妹が犯した取り返しようのない罪を知った兄は衝動的に拳骨を振るう。そうするしかありえない納得性のあるリアクションだった。そうしたうえで血縁の断ちがたい絆の哀しみを抱えてきくしかない。

 

妹と心的レズ関係の同級生がスケバンに絡まれる件。2人の反攻をカメラは俯瞰のショットで捉える。すごいかっこいい。

 

どんな家族にだってある小さな世界の物語を愛おしむ揺るがない信念。そして、大禍による喪失や悔恨も必ず時間が癒やしてくれるという確信も。能面の弟妹は口数少なく感情の溜めもないので唐突なエモーションが発動される。モノローグがその間隙を埋めるのだ。(cinemascape)

 

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おもひでのしずく (2012年1月14日 (土))

※おもひでのしずく:以前書いたYahoo日記の再掲載です。

 

机上の空論

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昨年の暮れも押し迫った30日。
俺は頼みごとがあって、先輩と会って飲んでいた。
「いや、ちょっとね、最近ショックやってんやんか」
「何が」
「こないだ、カミさんと下の子と3人で『ミッション・インポッシブル』シネコンに見に行ったんですけどね」
「ああ」
「チケット買うときにさ、俺が何も言わんうちに『50割でいいですか』やって」
「ああ」
「どう思います?」
「えっ?」
「俺って50に見えますか?やっぱ」
「…」
「て言うか、俺らお互い50になったって信じられます」
「うん…確かに」
「しみじみ辛いもんありません?」
「うん」
「…」
「で、夫婦50割って俺ら使えるんや」
「2人で2000円は、ちょっと魅力ですよ」
「それって、何か証明要るん」
「いや、俺の行ったシネコンでは何も言われませんでした」
「ふーん」
「何考えてますん」
「…」
「何かちょっとした武器持った気してるんちゃいますん」
「いや…」
「使えないですよ」
「何で」
「だって、誘われた女の子にしてみりゃあ、1800円にせよ1000円にせよ、どっちみち俺らが出すんやから関係ありませんやん」
「…」
「むしろ、夫婦ってところにウザさを感じるみたいですよ」
「…そっか」
「そうなんですよ」
「使えんな」
「使えません…でも俺ら男はその夫婦ってのにちょっときめくんですよ」
「ときめくよな」

実は俺は数ヶ月前に、この武器を何も考えずに使ったことがあった。
それで何の効果も無いことを身をもって知っていたのだ。
こういうのを机上の空論と言う。

今、消費税を上げる上げないという、どうでもいい話で政治は低迷しているが、景気回復が先という反対派の論理に俺は不快感を覚える。
何故なら、それを唱える彼らに景気回復策の具体的な妙案が皆無だから。
消費税を上げようが上げまいが景気は回復しないし税収は減り続けるだろう。
机上の空論が日本に蔓延している。

劇場版 目を閉じてギラギラ

★★★★ 2011年12月10日(土) 第七藝術劇場

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非暴力主義でナマな哀川に魅力はないが、多くの脇キャラの逸脱の連鎖が吸引力を持続させる。政岡泰志の狂気や三浦誠己の案外な腰の座りや水先綾女の無意味なエロスや永澤俊矢のダサ格好悪さや杉山彦々のふてぶてしさ…全部愛おしい。(cinemascape)

 

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彼岸花

★★★ 1983年12月16日(金)  ビック映劇

              1992年2月9日(日) 日劇シネマ

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頑なに自我を通す親父佐分利信が、後期小津作品の中ではとりわけ融通の利かない男で、枯淡の域には未だ遠く、小津の「赤」を偏重するカラーへの異様な拘泥と合いまり息苦しい。山本富士子が瞬間風穴を開けるとしてもだ。(cinemascape)

 

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罪の声

★★★ 2020年11月7日(土) TOHOシネマズ梅田9

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力作なんでしょうが、もひとつ熱くなれないのは何でやろとずっと考えてたんですが。

 

この映画と同様の「グリコ・森永事件」をモチーフにした作品で「レディ・ジョーカー」ってのがありました。当時、映画を見て原作も読んだんですけど、もうあまり覚えていません。ただ、失敗作という評価だった映画の犯人たちが纏っていた時代へのルサンチマンだけは強烈に残留思念として俺の中に残っている。

本作に欠けているのは、そのルサンチマンだ。

 

声を利用された子どもたちの顛末を描くのが主筋だから仕方ないないんでしょうが、犯人グループの内実に映画は入っていかない。彼らは言わば風景として映画のなかにいるだけだ。

あんまりそれ言っては違う話になってしまうんですけど。

 

映画でもっともエモーションが掻き立てられのは、幼い姉弟の顛末で、なら、そこに絞って「砂の器」的な構造に振り切ってしまうという手もあったろう。だが、そうすれば、星野源の演った役は脇に退いてもらわないといけない。

やはり、原作の建て付けがそもそもにってことなんでしょう。

 

身代金はダミーで本当の狙いはって部分だが、2000年以降にアメリカ映画なんかでよく使われ出した手口で80年代の日本でってのはなんか違和感がある。仕手筋が跋扈した時代に言及してるのに詰めが甘いような。

 

違和感ついでに言うと、梶芽衣子が左翼崩れってのも違うと思いました。

 

中盤以降、多彩な証言者が次々登場して映画はグルーヴしながら核心に向かっていく風には見える。でも、結局は声の主の顛末へと舵切っていくしかない。傍系のドラマに収斂してしまいどでかい闇の本質には迫れなかった。竜童・梶のそぐわなさが痛い。(cinemascape)

 

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おもひでのしずく (2011年12月23日 (金))

※おもひでのしずく:以前書いたYahoo日記の再掲載です。

 

承知しましたじゃねえよと森田芳光のこと

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この1週間というもの何十回聞いただろう。
「承知しました」
という台詞。
家でも会社でも、どいつもこいつも…。

「おい…お前や、どないすんねん。今月坊主やないか、言い訳はええねん、どないすんねん言うとんや、えっ、一生懸命やってる?一生懸命やってくれんでええよ。一生懸命やらんでええから…な、今日中に意地でも3件上げてこいや」
「それは、業務命令でしょうか」
「は?…そうや、業務命令や」
「承知しました」
とまあ、こういう使用方法なら歓迎なのだが。

白黒割り切る考え方が横行し、グレーゾーンでもがくことを忌避することが蔓延する時代。
その危うさに切り込むべく思考を繰り返してきたが…。

 

森田芳光が死んだ。
原田芳雄の死もショックだったが、今回も同じくらい衝撃だった。
唐突にテーマは飛ぶのだ。
俺が愛し敬愛してやまない北川景子ちゃんとペペロンチーノの両氏がブログにてこの件に触れられているのを拝見し、俺も書こうと思う。

家族ゲーム」は、ひとつの革命であった。
起っている事象をドキュメンタルに記録することではなく、映画とはショットによって構成され、その組合せによる連鎖こそが意味を生じさせることを再認識させてくれた。
しかし、数年後の「それから」で、俺は見限る。
その後の数作を見て、もうだめかと思っていたが、
「39 刑法第三十九条」と「黒い家」で復活する。
ここでは、音のモンタージュが意識されて取り上げられた。劇的な効果であった。
しかし、数年後の「模倣犯」で再度、俺は見限った。
阿修羅のごとく」を最後に、ずっと見てなかったが、心のどこかで、いつか北川景子主演で必ず撮るだろう。そのときは見ようと思い続けていた。
それも、もうかなうことはない。

 

バブルが崩壊して間もない、俺が30手前だったころ。
梅田で飲んだくれて終電を逃し、夜っぴいて池田のアパートまで歩いて帰ったことが何度もあった。
当時、借金まみれで人生に何の展望もなく敗残の日々を送る俺は、何を考えてそんなことをしていたのか今では覚えてもいない。
しかし、「の・ようなもの」のしんととが夜通し線路脇を歩くシーンが俺の中に残滓のようにあったのは間違いないと思うのだ。

ご冥福を祈ります。