★★★ 2020年11月7日(土) TOHOシネマズ梅田9
力作なんでしょうが、もひとつ熱くなれないのは何でやろとずっと考えてたんですが。
この映画と同様の「グリコ・森永事件」をモチーフにした作品で「レディ・ジョーカー」ってのがありました。当時、映画を見て原作も読んだんですけど、もうあまり覚えていません。ただ、失敗作という評価だった映画の犯人たちが纏っていた時代へのルサンチマンだけは強烈に残留思念として俺の中に残っている。
本作に欠けているのは、そのルサンチマンだ。
声を利用された子どもたちの顛末を描くのが主筋だから仕方ないないんでしょうが、犯人グループの内実に映画は入っていかない。彼らは言わば風景として映画のなかにいるだけだ。
あんまりそれ言っては違う話になってしまうんですけど。
映画でもっともエモーションが掻き立てられのは、幼い姉弟の顛末で、なら、そこに絞って「砂の器」的な構造に振り切ってしまうという手もあったろう。だが、そうすれば、星野源の演った役は脇に退いてもらわないといけない。
やはり、原作の建て付けがそもそもにってことなんでしょう。
身代金はダミーで本当の狙いはって部分だが、2000年以降にアメリカ映画なんかでよく使われ出した手口で80年代の日本でってのはなんか違和感がある。仕手筋が跋扈した時代に言及してるのに詰めが甘いような。
違和感ついでに言うと、梶芽衣子が左翼崩れってのも違うと思いました。
中盤以降、多彩な証言者が次々登場して映画はグルーヴしながら核心に向かっていく風には見える。でも、結局は声の主の顛末へと舵切っていくしかない。傍系のドラマに収斂してしまいどでかい闇の本質には迫れなかった。竜童・梶のそぐわなさが痛い。(cinemascape)