男の痰壺

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科学者の道

★★★★ 2020年6月28日(日) プラネットスタジオプラス1

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炭疽病や狂犬病の治療薬を発見したパスツールの伝記映画で、監督のウィリアム・ディターレほ後年、「ゾラの生涯」と「偉人エーリッヒ博士」を撮り伝記3部作を成すのである。と俺が勝手に言ってるだけだが。

 

この映画は、ある意味で現在の状況への有用なメッセージを含んでるように思われます。

当時、ウィルスというもんが病気を引き起こすなんてアホな戯言とされていたみたいで、パリの権威的な医学会の連中はパスツールを虚言師として追放する。

俺はそのクソ権威にしがみついた守旧派の連中が、今のコロナ禍に於ける専門家会議の爺さん連にダブって見えました。

 

正しいことやってるのに理解しようとしない守旧層に妨害されてできない。俺なら、てめーらぶっ殺したろかと思うでしょうな。

でも、パスツールはそういう恨み辛みなんて思ってる暇も惜しい。前向きです。

追放された田舎で家畜がバタバタ死ぬのを見て炭疽菌の研究に精を出す。そして、成果を出す。偉人の偉人たる所以に因業に塗れた俺は襟を正すのでありました。

 

この映画が、単なる偉人の業績列伝からワンランク上に思えるのは、新しい考え方と守旧的な閉塞の対立が、背骨のように映画を貫いているところだと思う。

皇帝の侍従医で医学会の権威であるシャルボンネとの確執が、全編で折にふれてトピックされる。終盤、産気づいたパスツールの娘にまつわるエピソードは2人の関係が単なる対立から深化する契機となる。

実エピソードなのか創作か知らないが、極めて映画的な高揚と多幸感を与えてくれる。

 

守旧的な駆逐されるべき考えは権威と結びついて改革を拒む。その歴史上繰り返された対立を物語を貫く背骨として貫徹させる。絞られた対立構図は、やがて娘のお産の夜に集約されるのだが、その人間性への信頼と希望。真理の前で世界が一体化する至福の大団円。(cinemascape)

 

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