男の痰壺

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燃ゆる女の肖像

★★★★ 2020年12月23日(水) 大阪ステーションシティシネマ

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相手のことを見つめる視線。

前半は、その凝視する視線が映画のエモーションを規定する。サスペンスフルでさえある。

 

構成としては「ブロークバック・マウンテン」を想起させる。時代がそれを許さない恋と、その刹那な時間の追憶を思って胸掻きむしられる哀惜の思いに打ち沈む構成がだ。

前者に乗れなかった俺だが、それは野郎同士のむさくるしい愛と綺麗な女同士のそれの違いという以上に、構成面の簡潔と抑制によるものと思われる。

「刹那な時間」→「哀惜の懐旧」へと至る間に本作は何もない。社会性を絡めた背景を混えずにおれない男性作家アン・リーと小さな世界を慈しむ女性作家セリーヌ・シアマの違い。どっちが映画的純度が極まるかは明らかなのだ。

 

オペラ観賞の劇場で遠くに彼女の姿を見とめた彼女。カメラは急速に寄っていく。おそらくズームとトラッキングを併用している。トラッキングがクレーンなのかドローンなのかはわからないがバストショットでピントが合った瞬間、彼女の心理にカメラがフォーカスした。切り返しのない長回しの終焉。

簡潔である。

 

互いの心根に思いを遣らず凝視する視線の強度が前半のサスペンスを規定する。それが恋に至る過程は観念的ではあるが女性の置かれた社会性への互いの反意がシンクロしたらしいことは判る。都合4人の女性のみが登場する作劇の簡潔はラストの無謬性に連結する。(cinemascape)

 

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