男の痰壺

映画の感想中心です

オッペンハイマー

★★★★ 2024年4月14日(日) 大阪ステーションシティシネマ

今まで悪いと思ってなかったことが、ある日気づいたら悪いことだと世間ではなっていて、自分だけが気づいてなかった。昨今の我が国の松本の問題にしても自民の裏金にしてもそんな感じなんだけど、第2次大戦を挟んだアメリカでの共産主義への接し方も同様だったんだろう、なんてことを思わされた。ソ連への情報漏洩に関して聞かれたオッペンハイマーは言う。「えっ?だってソ連は味方だろ」

 

新進の研究者だった若い頃から晩年まで膨大なエピソードを詰め込んで、見る者がついていけるか斟酌せずに駆け抜けて行く。見てて原田眞人の叙法に似てると思ったし何となく底浅なのも一緒。ノーランが原田の映画を見てることはないと思いますが。

 

「栄光と悲劇」という原作の副題は同時代から見たオッペンハイマーを現すものであり、原爆というものをこの世に産み出したことに対する現在からの見方とは違う筈である。ノーランはそこまで踏み込む気はなかったんだろう。批評精神は驚くほど見受けられない。そのへんが今いちの評価をしかねる所以です。勿論、原爆はオッペンハイマーが作らなくても誰かが作っただろうし、それが時代の必然だったことはわかった上で、その運命のクジを彼が引いた何かにこそ映画が作られる意味があったとんじゃないかと思うのです。

 

市民ケーン」の「薔薇のつぼみ」めいた謎として終盤で明かされるオッペンハイマーアインシュタインの邂逅で交わされた会話。それを曲解し続けたストローズという建付けを見る限り、本作の肝で主軸はオッペンハイマーとストローズの確執であろう。プリンストンオッペンハイマーを迎えたストローズが「平民出の凡人」ですよと自己紹介する序盤。それに呼応する先述の終盤に見合う中盤のドラマは多くの事象を消化する片手間に紛れてしまった印象だ。

 

一部で言われる広島・長崎の投下の惨状を描かないのは欺瞞ではないか、ですが、そんなもん入れたら概ね一人称世界で語られた映画の叙法は大きく損なわれるだろう。話にならないイチャモンである。

 

好演・力演ぞろいの演技陣だが、フローレンス・ピューの予想以上の爛れ感と、アインシュタインを演った「戦メリ」以来のMr.ローレンスことトム・コンティが印象に残りました。

 

ストローズとの確執にドラマの幹を見出そうとしたのにあれもこれも盛りすぎて骨太の感銘に至らない。アインシュタインとの池傍での会話を邪推し続けた愚物に対し脇目もふらない原爆バカの構図になり切れぬ高速時代トピック絵巻。それはそれで見応えはあるが。(cinemascape)

 

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