男の痰壺

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田舎司祭の日記

★★★★ 2018年11月24日(土) プラネットスタジオプラスワン
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ブレッソンの初期作で真っ暗闇の物語なのだが、語り口にリズムがあって救われる。
田舎に赴任した若い司祭の鬱屈した日常。
彼はそれを、日々日記に綴る。
出来事があって、夜それをノートに書き、内省的な考察がナレーションで語られる。
そして、フェードアウトでシークェンスは閉じる。
その繰り返しが延々と続く。
なんだか、ジャームッシュの「ストレンジャー・ザン・パラダイス」に似た効果がある。
 
田舎の連中は、ろくでもない奴ばっかで、敷布を借りにきたおっさんなんかボロだの汚いだの言いたい放題。
子供は素直だと思って、一番聡明な少女に目をかければ、裏で彼を馬鹿にしていた。
泥濘の路上で、この少女が彼をからかうように通学カバンを投げ捨てるシーンがデーモニッシュだ。
思い余って上司の司祭に相談に行っても経験が足りないと責められる。
夜、孤独に打つ沈む部屋で外の若者たちの享楽の笑い声を聞く。
孤独だ…と日記に綴るしかない。
 
メインのストーリーは村の有力者である伯爵の浮気に関するもの。
伯爵は彼に対して、まあニュートラルな姿勢なのだが、浮気相手の娘の家庭教師は彼に脅迫文を送る。
娘は親の不和にグレかけて、彼にもつらくしか当たらない。
夫人を訪ねた彼は真摯に語りかけ、夫人は一応、信仰を取り戻すかに見えた。
が、あっけなくその直後に死んでしまう。
 
だが、彼の元には夫人から感謝を記した手紙が届くのであった。
これが、唯一の彼の人生での救いであったろうか。
 
その後、彼は癌に犯されて死んじまうのだが、癌を告知される直前に、軍隊帰りの伯爵家のの若者にバイクに乗せてもらう。
快活な若者の屈託のない陽気さに彼も心が華やぐ気がした。
ってな上げて落とす悪意の作劇がたまらない。
 
でも、この司祭は、何もいいことがなかった人生であったし、悩み続けた日々であったが、真っ正直に生きたし、少しは他者を救いもしたのだ。
ラストの十字架は彼の生き方を肯定するように慈悲深い。
 
出口見えない暗渠のような世界の閉塞は日々の出来事を日記に叙述しフェードアウトで結ぶの反復リズムが緩衝する。無関心と悪意に苛まれた彼の半生は、それでも夫人の手紙が全肯定するだろう。泥濘に鞄を投げる小悪魔少女や帰還兵とのバイク相乗りなどが鮮烈。(cinemascape)