男の痰壺

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アイダよ、何処へ?

★★★★ 2021年10月2日(土) シネリーブル梅田3

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ボスニア紛争は映画でも再三題材とされてるみたいで、いくつか見てはいるんだろうけど、紛争自体のこと真剣に考えたこともなかった。なんか、東欧でいざこざがあったんやな程度です。俺に限らず日本人の世界認識の標準なんてそんなもんだと思いますわ。

ノー・マンズ・ランド」はボスニアセルビアの敵兵同士が中間地帯で地雷踏んで立ち往生する話だったし、アメリカ映画「エネミー・ライン」はボスニア上空で撃墜された米兵がセルビア人スナイパーに執拗に追われる話でした。今だから改めてそうやったんやと思う。

 

本作はセルビアに侵攻されたボスニアの町スレブレニツァで起きたジェノサイドを描いたものだが、ボスニアの女たちをバスに詰め込んだセルビア兵が唾棄するように言う、「ムスリムの牝犬どもめ」。ああ、ここでも紛争の根元にはイスラム教への忌諱があるのだと知りました。

 

国連軍が、いざとなったら何の役にも立たないことが明確に描かれる。それは日本人の平和ボケした幻影に楔を打ち込むだろう。ボスニアを日本にセルビアを某国に国連軍を米軍に置き換えてみることで見えてくるものがあると思いました。

 

本作の作劇は、セルビアに侵攻されて問答無用でぶち殺される人々の中で、国連軍で通訳として働きIDを付与されることで安全圏に身を置ける女性アイダが、夫や2人の息子も助けようと策動するという際どさを孕んでいる。彼女のドラマの外側では、多くの選ばれることはない人々の描かれることのない悲運が存在するからです。

映画は、そのへんの見るものに突きつけられる引っ掛かりを解消しようとはしない。そういった点で、力作だがわだかまりを残すのです。

 

元教師であったアイダの教え子がセルビア兵の中にいたりする。そのへんの民族的な錯綜は単純でない現実の知り得ない細部を照射しています。

 

ボスニア紛争も又宗教由来であったことや国連軍がクソの役にも立たぬことなど世界標準のリアルを知らねばならない。アイダは最後の最後まで足掻き続ける。2人の息子の1人でもの言葉は彼女をも引き裂く。男の俺は耐えられない。業苦の中で生き続けることも。(cinemascape)

 

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