男の痰壺

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ドライビング Miss デイジー

★★★★★ 2022年9月8日(木) 大阪ステーションシティシネマ

1980年代くらいからアカデミーの作品賞というのにあまり関心がなくなって、公開時にスルーした作品が少なくない。「午前10時の映画祭」という企画でそういう作品をやっていると、やっぱ見といた方がええかなとの思いで見たりするけど、経年劣化も加わり見んでよかったとの思いを確認することが多かった。

でも、これは見て良かった思いました。

 

1つは、主演2人の良さで、モーガン・フリーマンがいいのはいつもながらですが、ジェシカ・タンディタイプキャストと言えばそうなんだけど良い。調べたら、この人「鳥」のお母さんの人なんですね。あの映画でも、取りつく島もない鉄面皮の風情が、予想外の危機に際して崩れて女の優しさが漏れ出てしまうってのが好感度を上げてたんですけど、本作でもそういう彼女の特質が役に適合してる。

 

金持ちの老未亡人と老運転手との25年に亘る交流譚だが、多くのエピソードは印象的ながら深掘りされない。頃合いと思われるところでオチをつけて等間隔で進むことによって快楽リズムが生じている。そして、深掘りしないことによる底浅感は同一テーマを繰り返すことで回避される。例えば60年代の南部に於ける黒人の置かれた境遇は、①老運転手が文盲であることがわかるエピソード ②老運転手が70歳になるまで生まれた州を出たことがないとわかるエピソード ③長旅でのトイレの件、と3度繰り返され極めて印象的だ。

 

KKKによるユダヤ教会の爆破、マーティン・ルーサー・キングの講演といった歴史のトピックが織り込まられ、デイジーはそこに立ち会うことになるのだが、教会やキング牧師そのものは画面には映り込まない。映画の基調を維持するシュアな選択だと思う。

 

本作にせよ、近年の「グリーンブック」にせよ、差別の構造的本質に目を閉じた、あくまで白人の為の白人至上主義映画として批判するむきもある。でも、ものの見方は立場によって180度変わるのであり、双方ともに尊重されていい。少なくとも本作に恣意的操作が為されているとは感じられないのだ。

 

深掘りされぬエピソードの羅列が快楽リズムを産み、問題の反復が公民権運動前夜の黒人の境遇を刻印する。歴史トピックに居合わせるデイジーだがそれを見せないのも良。短気と鷹揚・貧富の差・ユダヤと黒人・女と男など補完し合える相関関係の25年の編年記。(cinemascape)

 

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