男の痰壺

映画の感想中心です

趨勢に流される安寧が本質を見誤らせる

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菊地成孔の映画本新著「映画関税撤廃」を本屋で立ち読み&流し読みしてて思った。

この人の言ってることジーツにしっくりきます。

 

読んだのは主に2つの章。

バトル・オブ・ザ・セクシーズ」と「グリーンブック」についてのものです。

前者はテニスのキング夫人、後者はピアニストのドン・.シャーリーという実在人物の生涯の一挿話を切り取ったもので、レズビアンであるキング夫人と黒人であるシャーリーを扱う以上、当然のようにLGBTと黒人差別という背景から切り離せない。というか物語の骨子にならざるをえない。

当然、映画をめぐる評価も、それらを避けては通れない。特に「グリーンブック」においては予想外のアカデミー受賞でアンチの嵐が吹き荒れた。白人が選考する賞で黒人に親和的な白人を描く映画が選ばれたのは偽善じゃないかってことです。それを黒人のスパイク・リーが批判することは全く正しい。がそれでも、それに乗じた言説がワンサイドでネット世界で吹き荒れる様はファシズムさえ思わせ気持ち悪い。

 

菊地はこれらの映画をどう規定したか。

・70年代を35ミリで描いた最良の作品。

・クリスマスムービーの佳作。

であります。

衒学的な表層とは違う本質的なものの見方だと思いました。

 

過剰に政治的な裏目読みが趨勢を占める現在の潮流は、本質をも見えなくしてしまう。

もちろん、政治的なものの見方は必要だし嫌いでもないがバランスというものがある。

正鵠を射ている見方だと思います。

 

以下、どうでもいいだろうが、当時、2つの映画について cinemascape に投稿した俺の感想を転載しときます。

 

納得性あるフェミニズムが気持ちいいし、件の試合も背負って立つ男女のアイデンティティの抜き差しならぬ肥大化を背景に茶番を脱する。超クローズアップのモンタージュは表情の機微を逃さず、俯瞰カメラの試合は迎合的インサートを排す。手法的にも先鋭だ。

 

繭を出て辛苦の南部演奏を決意した彼の思いをとき解す旅路であり、その思いを知った男も変わる。『夜の大捜査線』の巧まざるリライトであるし上級のXマスムービー。演奏拒否の決断は酒場のセッション、雪夜のドライブを経てラスト彼女の至福の言葉に繋がる。