男の痰壺

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三人の女

★★★★ 2018年11月24日(土) プラネットスタジオプラスワン
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人格が入れ替わる(完全にとは言えないのだが)ということで、当時、アルトマンが影響下にあったらしいベルイマンの「仮面 ペルソナ」が容易に想起されるのだが、そこには俺はあまり興趣をおぼえなかった。
又、このころのアルトマンが好んで使った緩いズームとパンニングの併用がこの世ならぬ独特のムードを醸すのであるが、その点もさもありなむって感じである。
 
製作された70年代に見れば、それでもサイコな雰囲気に呑まれたかもしれない。
だが、40年間の間に、このモチーフは相当にやられ尽くしている。
俺は、至近に公開された作品でレフンの「ネオン・デーモン」とソフィア・コッポラの「ビガイルド」が鑑賞後飛来した。
 
それでも、これが屹立していると思えるのは、圧倒的とも言える悪意の奔流。
この痩せぎす女優2人が演じる役柄の造形は容赦なく見るものの嗜虐志向を駆り立てる。
デュボールの演じる女のイケてなさと、それに対する無自覚。
スペイセク演じる女の依存体質と隠ぺいした悪意。
それらが、辺境のようなカリフォルニア、パームスプリングのさびれた景観と相まって救われなさ全開です。
 
自殺騒動を契機に女2人に変容が訪れる。
依存女は自立してイケイケに変貌し、無自覚で空気読めない女は人にやさしくなる。
そして、ラスト、なにか彼岸に達したかのような状況で安息が訪れる。
アルトマンの寛容が導いた至福の結末。
それは、ベルイマンの不寛容とは対極に見える。
 
2人ともいくつかの映画賞で女優賞をとっているが、スペイセクの恐るべき演技に今更ながら驚いた。
 
これでもかの細緻でリアルな悪意の奔流で造形された女たちが、とある契機で変容を始めて最後には彼岸の平穏に至る物語でベルイマン影響下のアルトマンが対極的な寛容を提示した。ロケ地の寂寥と緩やかなズームがマッチし世界との孤絶は弥増される。(cinemascape)