男の痰壺

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星の子

★★★★ 2020年10月25日(日) MOVIXあまがさき2

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多分そうなんだと思いつつ、でもできるだけ目を背けて生きてきた。回りの友だちとかも、なんとなく知ってるけど、あまりそのこと話題にしないようにしてくれてた。

そんな彼女が、生まれて初めて剥き出しの嫌悪、慄き、蔑視に唐突に触れてしまう。お父さんお母さんは、そういう嫌悪、慄き、蔑視を向けられる人たちだったこと。なんとなく知ってたけど、リアルに知らされてしまう。

身体が震え涙が溢れて車を飛び出して走り出す。と、突然、画面はアニメーションに変わり、空高く舞い上がった彼女、そしてゆっくり地上に降下していく。

こういったアニメーションの挿入は、往々にして妥協を感じさせ好みじゃないけど、なんだかこのシーンでは必然を感じさせられる。剥き身の苦しみを緩衝するかのよう。

 

この映画は、大森立嗣の映画の構築に於けるセンスが随所で現れた作品だと思う。

終盤、一家はカルト教団の総大会みたいなのに出向く。バスを何台も連ねて山間部の教団施設へ向かう。

それまで、彼女の家庭と中学校がを舞台に展開していた物語だが、この総大会行きを機に友人との、或いは教師との関係は放逐されてしまう。思い切った構成だと思う。

映画は、この教団施設で閉じてしまうのだが越境感が半端ない。殊更に劇的な何かは起こらず、ただ、一緒に来た両親と一昼夜どうしても会えないとか、にこやかに焼そばふるまうが怖い高良健吾がいたり、優しげな微笑みを絶やさないが怖い黒木華がいたりするだけ。だが、そういった抑制の中に強烈な不穏を差し込ませてくる。

 

ラストの解釈が諸説あるようだが、正直俺もわかりませんでした。でも、大のインタビューを読んだ限りでは希望を託したもののようです。

 

学校での顛末が後段で放逐される構成が彼岸に来てしまったような越境感を醸す。山道を行く観光バス窓外の渓谷バイパスの現世。両親を捜しての閑散とした夜の施設内の彷徨で彼女の何かが変わったわけではない。だが外と内を知り世界は広がった。取り敢えずは。(cinemascape)

 

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