男の痰壺

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バクラウ 地図から消された村

★★★★ 2020年12月20日(日) 梅田ブルク7シアター4

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今年公開された2つの映画を容易に連想させる。

「ミッドサマー」と「ザ・ハント」で、どっちが先なのか知らんけど不運やなあと思う。

またかいなと思って0.5ポイントくらい値びいてしまうから。

 

【以下ネタバレです】

ど田舎の閉塞コミューンに都会人が訪れドえらい目に合う。北欧スウェーデンが舞台の「ミッドサマー」に対し、こちらは南米ブラジル。何から何まで真逆で面白い。まあ、それは見た後、いろいろ考えててそう思うのであって、見てる間はそんなこと思わないんですが。

 

この映画が上手いのは、そういう異文化との遭遇って話は前半では見えない。村に帰還するのは故郷を嫌って他所に行ってた女性なんです。

であるから、「地図から消された」というバカな邦題のイメージもあって、俺は善良な人たちが住む小さな村が、何者かの力で消滅させられる悲劇的なもんを予想していた。

が、映画は小さな変異の積み重ねのあと、視線の主体が変異の実行者たちに移る。

で、こいつらが享楽殺人チームってことがわかって、なんや「ザ・ハント」といっしょやんけと。まあ、結局は侵入者たちはコミューンに呑み込まれる「ミッドサマー」帰結になるんですが。

 

そういう大きなストーリーの転換する骨子も悪くないものだが、この映画の秀でているのはシーンごとの予測を裏切る諧謔味だ。

チームに雇われたブラジル人バイカカップルが殺戮される件は、「ザ・ハント」が格差をフィーチャーしたのに対し白人のヒスパニックに対する差別が起動する。

村外れに住む老夫婦の殺戮を命じられた男女が「チョロいもんだぜ」と赴いて返り討ちにあう件は篇中最も秀でている。爺さんも婆さんも何故か全裸で生活してるのが予断を誤らせるのだ。

 

全篇に横溢する強固な土着性が、下手すると商業映画のスキームに陥るところを回避させている。

 

ミイラ取り物語の背景にナチズムまで敷衍する白人優越思想と数多の人種混血が形成したブラジル的世界観の相剋がある。そこでは無防備のフルチン爺いも舐めてかかるとドえらい目にあうのだ。純朴の下の強かや我欲の裏の高潔。食えない多面性が形成する諧謔味。(cinemascape)

 

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