男の痰壺

映画の感想中心です

護られなかった者たちへ

★★★ 2021年11月2日(火) 梅田ブルク7シアター7

f:id:kenironkun:20211104194808j:plain

大災害があり、その最中にさまざまな因果がある。そして、9年のちに殺人事件がおこる。なんとなく、こう書いていて「飢餓海峡」と物語の構図が似てるなと思いました。

 

大災害は3.11で、物語は事後数日から始まる。津波そのものの描写はないし原発事故に関してはオミットされているが、混乱の中で多くの家族を失った人たちの哀惜が前面に出され胸を打つ。そんな中で、身寄りのない少女・青年・老婦の3人が知り合い身を寄せるという設定も発端として文句ないと思います。

 

映画は現在形の殺人事件と震災当時のことをカットバックしながら進行するが、現在パートでは「生活保護」の問題が大きくフィーチャーされる。ここの詰めが甘いと思いました。

 

【以下ネタバレです】

まず震災という大災厄の悲劇に対して生活保護受給の問題が、単純に映画の重心として均衡してない感がするのが一点。

もう一点は、その申請にまつわるあれこれが、殺人の動機として見るものに納得を与えるものだったかという点です。

 

思い余って意を決して生活保護申請に行って、丸一日たらい回しでイヤーな思いをさせられて、元より精も魂も尽き果ててる人たちは挙句に泣く泣く諦めて帰ったなんて話はリアルによくある現実で、よく親子や夫婦で餓死してたというニュースの際に生活保護というものがあるのにとしたり顔で言うキャスターやコメンテーターにこそ死ねボケと思う俺ですから、この映画のそれは、特異なケースでもなんでもなく、それ言うならもっと普遍的問題としての視野が要るんちゃうかいなと思うわけです。

 

もちろん映画は、そこまで単視眼ではなく、本筋と関係ないのに刑事たちが職員に同行して2つのケースを見に行く場面を設けている。不正受給のヤカラと母子家庭の親子で、問題の裾野を多少垣間見せる意図は認めるが如何せん今度は単線的な犯人の動機付けをポヤかしてしまう。

そもそもに、物語のコンセプトの立て方が間違ってるんじゃなかろうか。

 

佐藤、阿部といった演者の熱演が映画のポルテージをワンランク上げる一方、清原、林の醒めた居住まいが冷却するバランス。

演出も随所で魅せる。特に跨線橋周りでの追跡シーンは印象的でした。

 

3.11の悲劇と混乱が冒頭に置かれるが数年後の事件の動機づけに直接結びつかず、代わって浮上する生活保護申請の件が重心として均衡しない。担当者個人の問題に矮小化された感が拭えず居心地悪い。震災の描写が力のこもったものだけに尚更。演者は皆良い。(cinemascape)

 

kenironkun.hatenablog.com