男の痰壺

映画の感想中心です

PERFECT DAYS

★★★★ 2023年12月26日(火) 大阪ステーションシティシネマ

「一日2杯の酒を飲み肴はとくに拘らず〜」と河島英五の歌が見てるあいだ脳裏に去来したのだが、ジャームッシュの「パターソン」とおんなじやんとも思ったり。

日々の当たり前の営為の反復を愛おしむ視線。

近所のおばさんが掃除する音で目を覚まし、布団を畳み、歯を磨き、髭を剃る。着替えて玄関の財布と鍵を取って表に出て自販機で迷わずBOSSのカフェオレを買って仕事のパンで発車。各所のトイレを掃除して回り、昼ごはんは神社のベンチで牛乳とサンドイッチ。以下諸々あるが割愛します。

 

その揺蕩うような日々を見つめてるだけで精神安定をもたらすような効果があるんですが、そういうわけにもいかないらしい。ヴェンダースは2つの作劇を施してくる。

1つは繰り返しの日々のなかにも社会生活を営む以上変化やアクシデントは到来する。

2つ目はそもそもに主人公は何者で何故にこういう日々を送るようになったのか。

 

1つ目は仕事の同僚とそのガールズバーの彼女、姪っこと妹、飲み屋のママとその元夫という人々との関わり。これらは悪くもないが主人公の心に燠火のような暖かみを残す程度。

問題は2つ目です。定住と放浪の違いはあるが、心に何らかの忸怩たる悔恨や諦念を抱えて過ごす男っていうモチーフは「パリ、テキサス」と同根に思えます。ただナスキンとの邂逅が篇中の佳境たり得ていた「パリ」に比べて本作の妹との再会は如何にも弱い。何だかモヤモヤした抽象的なイメージが再三差し挟まれるんだけど、逃げに思えました。

ラストの主人公の男泣きがそれほど胸に迫ってこないのはそのへんかなと思いました。

 

慎ましやかな日々の営為を慈しみ、時流に流されない時代遅れを愛おしむ。そのヴェンダースの思いに些かの反駁もないが、それでも生きとし生ける人生で悔恨や諦念を抱えてきた決着を映画としてつけてやる。その方途において『パリ、テキサス』に及ばない。(cinemascape)

 

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