男の痰壺

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ポトフ 美食家と料理人

★★★★★ 2023年12月21日(木) シネリーブル梅田1

見た直後は若干の物足りなさを感じたのだが、時間が経過するにつれて主人公の生き様の確かな佇まいと演じたジュリエット・ピノシュの完璧な存在感が惻々と迫ってきて評価を上げました。

 

貴族階級の食通男がいて、その家の料理人として雇われてる庶民出の女がいる。そして2人は互いに惹かれあい体の関係もある。となれば話は簡単やんってことなのだが、女は男の求婚をずっと断ってるらしい。せっかくの玉の輿なのに。ってのが物語の前提にある。まあこれは、映画が進むにつれて徐々に見えてくることなんですが。

 

映画は冒頭から一大クライマックス。食通仲間を屋敷に迎えての食事会があり、その支度で広い調理場で幾種類もの料理を作る。男(食うだけでなく作る方も秀でている)と女と下働きの少女の3名で手際よく作業をするのだが、その練達の手際をピノシュもマジメルも当たり前のように熟しているのが凄い。必死さが出てもいけないし、かといって適当でも当然ダメで、相当な練習とその上での演技力が渾然と調和している。

終盤にもう一山調理シーンがあるだろうと踏んでいたのだが、ありません。そのへんが物足りなさを感じた所以だが、代わりに驚くようなピノシュの帰結がある。

 

同士とも言える価値観を共有した相手に求愛されて嫁にいく。それが嬉しくないわけでもない。しかし、それ以上に彼女は全存在で料理人としての悦びや意地を希求してしまう。それがラストの台詞に集約される。素晴らしいというしかない。

 

ピノシュはフランス映画のこれからに於いてイザベル・ユペールの立ち位置を継承する存在だと確信させられます。

 

男の恋人や妻になるより料理人でいたかった。ということを決して声高に言うでなく時代や階級差を背景に蕭やかに、だが全存在で料理人としての悦びやプライドを醸すピノシュ。圧巻の調理シーンの練達の手際を含めて余韻はボディブローのように効いてくる。(cinemascape)

 

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