★★★ 2024年4月27日(土) テアトル梅田1
恋の発生から終焉までを実に律儀に描いているのだが、万人が納得する展開に律儀すぎて意外性の欠片もない。
あるのは、これでもかというくらいの若い2人をとりまく日常の本や漫画や映画やゲームや行く居酒屋やパン屋や美術館や寄席や音楽やカラオケや実家や仕事先やファミレスやその他色々なギミックであって、それがまあ、そこそこに苦労してない中流のコモンセンスの共感の多分ちょい上くらいを狙ってる感が臭って戦略的に過ぎる気もする。
まあ、ぶっちゃけこの映画見てて、映画自体には中庸な思いしか持たないんですが、これ見て「わかるー」とか言ってる若い奴を勝手に想像してウンザリしたんです。はい、いじけた老人です。
本も漫画もゲームも音楽も10代〜30代くらいまではそこそこ嗜んでましたけど、ほぼ全壊に近いくらいに縁遠いものになりました(映画だけはしつこく続いてますけど)。
年齢を経るにつれて変わらざるを得ない時間の割き方に彼女が着いて来れなかったのは、あたらお気楽なモラトリアム期間の共有があったからでリセットが利かなかった。
それが男と女の越え難い深い溝であろう。
ふっふっふっ…。
個性的な非凡な秀でた或いは異様なダメな人やモノや場所に取り囲まれた世界で中庸で無個性な2人の恋の発生から終焉までを俺ら凡人のコモンセンス最大公約数で描いただけだが、律儀である。しかし菅田&架純でそれをやるってのがどうにもあざとい。(cinemascape)