男の痰壺

映画の感想中心です

デューン 砂の惑星 PART2

★★★★★ 2024年3月20日(水) 大阪ステーションシティシネマ

40数年前に「スター・ウォーズ 帝国の逆襲」を見て興奮したことを思い出したりした。ワイプこそ使わないまでも他局面で錯綜する物語展開のスピードと、終局の運命論的に脱構築された神話性に於いて似たような印象を持ったのだと思います。

 

ただ、一方で端折った感も時折感じる。砂漠の民フレーメンに受け入れてもらう為、ポールは幾つかの試練を課せられ1人砂漠を横断することになる。「あー彼は死ぬわ」とフレーメンの女たちは噂してる。砂漠への1歩を踏み出したポール。砂虫除けのヘンテコ歩きをしながら。遠くで見てたフレーメンの女チャニが見てられず駆け寄って「こうやるのよ」と言って2人でヘンテコ歩きしながら砂漠に入っていく。おしまい。過酷な試練は描かれず端折られてしまう。「ロレンス」並の横断行を心積りしていた俺は、は?と思う。

 

しかし、間髪入れず舞台はハルコネンの香料(スパイス)採集機へのフレーメンによる急襲場面へ。ガジェットの細緻なディテールへの拘りが半端ないシリーズだが、もうこの採集機は素晴らしいの一言で先述の、は?は吹き飛ぶ始末。何だか「ハウルの動く城」の実写版みたい。空から撃ちまくってくる護衛機をポールとチャニが連携して撃墜するのだが、やっとこさ射程に捉えた機をロックオンしてチャニが放ったランチャーの弾道が映らない。瞬間にアングルが護衛機の背面に切り替わって爆発墜落するショットに切り替わるからだ。編集の意外なまでの割り切りに驚きを感じた。「ナウシカ」の空中戦に近いと思った。

 

40年前に就職先の導入研修で、1ヶ月間千葉の研修所に缶詰になっていた俺は、日曜日の休みに渋谷の映画館まで公開されたばかりの「風の谷のナウシカ」を見に行ったのだが、一緒に行った同室の奴に「めっちゃ良かったけど、これ『デューン』から相当パクってるやん」と知ったかぶりで言い放ったわけである。まだ宮崎駿に関する言説は日本の一部マニアに限定されていた頃だ。その後、半世紀近くを経てフランク・ハーバート→ハヤオ・ミヤザキ→ドニ・ヴィルヌーヴと輪廻の如くにイメージが付加されてこのシークェンスに至ったわけである。感慨を覚えた。

 

PART1の流れからすれば、物語は父を殺しアトレイデ領を蹂躙したハルコネン憎しで、その殺害こそが佳境となる筈なのだが、物語は拡散していき、ハルコネンへの仇討ちはもののついで並の印象しか与えない。領主連合との対峙、教母結社ベネ・ゲセリットと母との確執、母の胎内の妹、そして何よりチャニの行く末、とポールを取り巻く、或いは待ち受ける命題は多く最早ハルコネンなんてどうでもいいのである。このおっ広げた風呂敷をどう畳むのかPART3が見ものだけど、くれぐれも迎合的な収め方はしないでほしいと思います。

 

復讐や恋の行く末という規定展開は加速する新たな命題付加の前に駆け足で消化され或いは放逐されていく。その物語性の脱構築とも言える試みの果ては破綻かも知れぬがシリーズPART2としてはこれでいい。端折りは細緻の極みのガジェットに糊塗されていく。(cinemascape)

 

kenironkun.hatenablog.com