男の痰壺

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家族を想うとき

★★★★★ 2019年12月21日(土) シネリーブル梅田1

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まるで俺の家族の話みたいだと思った。

そしてそれは、この日本にの今においても少なからぬ範囲で当てはまる物語だと思う。

 

運送業に於ける過酷な実態が取りざたされて久しいが、それでもアマゾンに抗したヤマト運輸は結局は大幅な減益を強いられた。すべては「サービス」という亡霊がシステムを暴走させているからだ。巨大化した荷主は受ける配送者に無理を強いるし、消費者は決してサービスという恩恵を手放そうとはしないだろう。

俺は古い人間だからネット通販とかは利用しないが、我が家では2日にあけずアマゾン他から宅配便が届いている。それが現実なのだ。

 

家族のほころびは、夫婦よりも先に子どもたち溌で顕現化する。その通りだと思う。

前半は、曲がりなりにも上手く回っていた歯車は一気に狂いだす。夫も妻も仕事と家庭の板ばさみにあって思考がマヒしだすのだ。

この映画は、そういった状況を驚くほどの細緻なリアリティでもって描いている。

 

唯一、できすぎと思われるのは、この一家、父も母も息子も娘も根っこのところではめっちゃ善人だし家族思いだってことやろか。

でも、過酷な現実を描いて、それがなきゃあ、俺はこの映画に★5をつけることはなかったろうと思うのだ。キレる親が蔓延している今だから尚更です。

 

号泣シーンが2つ。

幼い娘が思い余ってやったことを述懐するシーン。

怪我をした夫に付き添って病院に来た妻が冷徹な会社に思いの丈をぶちかますシーン。

家族4人を演じた素人は皆ほんとにすばらしかった。

 

物流と介護という社会構造の皺寄せが鋭角的に顕現する分野で功利主義的経営論理が従業する者を疲弊させていく。悪意なき消費者や庇護されるべき老人という前提が幼い娘を泣かせ良妻に怒号させる。誰かが言わねばならない現代の矛盾を分析的筆致で紡いだ提言。(cinemascape)

 

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