男の痰壺

映画の感想中心です

どこでもない,ここしかない

★★★ 2018年3月18日(日) 梅田ブルク7シアター3
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先月末のことなのだが、所用があってプラネットスタジオに行った。
事務所でT氏と話していたとき、となりの映写室でゴソゴソ音がして、男が姿を現した。
俺は一瞬、ロッチの中岡や!と驚いたのであったが、T氏に紹介されてリム・カーワイだとわかった。
なんでも、翌月の大阪アジアン映画祭で上映する新作の音調整をやってるとのことであった。
紹介されたのはいいのだが、俺はあんまり彼のことを知らず2,3言挨拶を交わしただけであった。
ただ、なんだか「ええやっちゃなあ」と思った。
人柄がである。
もちろん、名前は知ってたし、「新世界の夜明け」や「恋するミナミ」という映画があることも知っていた。
でも…見たことなかったんですわ。
 
袖振り合うも他生の縁というので、彼の新作を見に行った。
リム・カーワイはマレーシア系中国人であって、そんな彼が東欧の火薬庫バルカン半島スロベニアとかマケドニアに出向いて、現地の素人を役者として使って撮りあげた映画であって、スタッフは日本人。
正真正銘のコスモポリタンな映画である。
でも、この映画、予想されるヒリヒリ感はありません。
むしろ、イタリア映画か?っちゅうくらいに女グセ悪い男の浮気してスッタモンダの映画だ。
俺は、あらためて思った。
世界中、どこ行っても、男ってのはどうしようもない生き物なんですなあ。
そういうことをシミジミ思ったのだった。
 
上映のあと、監督の挨拶と質疑応答があったが、俺は本編より監督の受け答えのほうがオモロかった。
あらためて、ええやっちゃなあと思った。
どうか、この映画が一般公開されて、リム監督が新たな新作を撮れることを心からお祈り申し上げます。
 
映画を作る戦略過程に於いて問題意識は取り敢えず脇に置いといて在るがまま為すがままにカメラを回した結果が、浮気男のどうしようもない生態であり対する妻の頑なな意地であることが或る意味で悠久の普遍を感じさせる。全篇を遍く居た堪れなさが覆っている。(cinemascape)