★★★★ 2020年2月2日(日) シネリーブル梅田3
1969年の「イージー・ライダー」の成功のあとの1971年、ピーター・フォンダは「さすらいのカーボーイ」でデニス・ホッパーは本作で監督・主演の映画を作った。
これは、とんでもないクソ映画としてお蔵入りの憂き目にあったわけですが半世紀を経て傑作だったんじゃないか?との評価がなされております。(ちなみに「さすらいのカーボーイ」は10年くらい前に見たが傑作だったと思います。)
しかし、ほんまにそうか?と思いました。
書かれているもんを幾つかネットで読んだが、未開の地で初めて映画製作にふれた現地の人が、見よう見まねで同じことをやり始めるが、何せ撮影隊のやってることの意味がわからない。ので、ぶん殴るときは本当にマジで殴るし、殺すときはマジで…みたいな、いわばちょっとヘルツォークみたいなムジナ捕りが的アプローチだとされている。
でも、その部分はたいして面白くもないし、ホッパーがそういう物語性を本気で語ろうとしたのか疑問だ。
実際、最初の30分くらい、西部劇の撮影風景が描かれるがダルい。
監督役をサミュエル・フラーが演っている。ゴダールやヴェンダースやカウリスマキが信奉し映画に客演させた男であるから、何かの符牒を読み取れるとも言えるが、それでもダルい。
俺は、やっぱダメやんと思いました。
撮影隊を離れたホッパーが現地の恋人と山の中で2人っきりの暮らしを始める。
そのあたりから、俄然面白くなっていく。
「ちょっと町行ってくる」とホッパー。「わたしも行く」と彼女。「いやいや、仕事の話だから、お前は来んとき」「いや、行く」「ダメ」「絶~対行くったら行く」
実は、町で知りあった白人の母娘と遊びに行くつもりだったんですなあ。よくある状況であります。
で、白人の亭主も含めて飲んで騒いでの席でペルーの彼女は疎外感を味わう。ちょっと「ジャイアンツ」の裏返しみたい。あの映画でホッパーは大資産家の牧場主の息子でありながら、メキシコ人女性と結婚する。白人社会で彼女はいろんな差別に遭う。
ポン友と金鉱探しに出かける。金ってのは金塊の形で自然の中にあるわけでないから何の知識もない2人ではお話にならないわけです。
で、テントで「ジミー・ディーンがよお、俺にこう言ったぜ」みたいな話をやりだす。
で、先述の擬似撮影のシークェンスになるわけだが、彼女にフラれて一攫千金もダメだった男が、わけわかんない状況に巻き込まれて、あーどうにでもなりやがれってことで一巻の終わり。
この切ない心情の吐露はわからないでもない。
入子細工の構造がメタフィジカルな解読を強いるのだが、要は浮気して女にフラれ一攫千金を目論み文無しになった男が、もうわてわやくちゃでんがなという話。ホッパー映画キャリアの残滓が随所で顔を出す。特に『ジャイアンツ』の影を感じさせ泣けるのだ。(cinemascape)