★★★★ 2022年8月3日(水) テアトル梅田1
夫にとって良き妻であり、子どもにとって良き母であるということができない女性の話で、男にとっては赦し難いことだったんでしょう。ヴェネチアで受賞したにもかかわらず50年前のアメリカの守旧的価値観のなかで黙殺されたのもわかります。
「私は無価値でした。友達もいない、才能もない。私は影のような存在でした。『ワンダ』を作るまで、私は自分が誰なのか、自分が何をすべきなのか、まったく分からなかったのです。」
このバーバラ・ローデンの言葉は胸を打つ。映画とは、ときに行き場のない焦燥や出口のない孤独や抑えきれない怒りや、そういったものを吐露しフィルムに焼き付ける方便でもあった。
もちろん、そんなものを直裁に焼き付けたってどうしようもないわけで、物語なり語りのフォルムなりに変換しないといけない。その点で撮影・編集を担ったニコラス・T・プロフェレスの冷めた視線とも言うべきドキュメンタリー風味は完璧にこの映画に適合していたと思います。
銀行強盗の顛末が終わり、再び行き場を失ったワンダ。行きずりの飲みの場で彼女が思うことはなんだろか。先述のバーバラの言葉そのものに思えるのです。
行き場ない焦燥や出口ない孤独や耐え難い抑圧を吐露しフィルムに焼き付けることが彼女にとり救いとなったなら幸いだが、素晴らしいのは飽くまで客体化できる醒めた視線と低予算がもたらした即物的フォルムが獲得できている点。ラストの詠嘆は哀しくも厳しい。(cinemascape)