男の痰壺

映画の感想中心です

さよならくちびる

★★★★★ 2019年5月31日(金) TOHJOシネマズ梅田10
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立教パロディアスユニティの黒沢清につぐナンバー2であり、当然にハスミンの薫陶を受け、「映画術」なる著作をものにする。…なんて、バックボーンの割りに、終わってるやん。
って思っていた。
直近の「抱きしめたい」とか「風に濡れた女」とかを見る限りにおいては。
でも、このオリジナル脚本の映画は文字通り乾坤一擲の快打だと思う。
 
まず、映画が始まって、フィルム撮影の感触に居住まいを正しました。
気合が入ってると思った。
映画は、女性デュオの解散に向けてのラストツアーのロードムービーであり、それはそれで、まあよくあるパターンで、そこに過去の挿話が随時差し込まれる。
ところが、このツアー、ブレイク前のライブハウス巡りってこともあるが、限りなく侘しい。
今風の意匠はほぼ皆無で、もちろんスマホとか持ってるのだろうが、まったく映画的には機能させない。
しがない木造アパートとか高速道路の薄暗い架構下とかひなびた商店街とか中古のレコード屋とかを意識して風景に選択している。
それが、フィルムの質感と相俟って、好きな言い方ではないが、昭和チックである。
最近、あんまり歌とか聴かないので、よくは知らんが、楽曲提供の秦基博あいみょんの曲も昭和心をくすぐる。
 
女性2人とマネージャー兼伴奏の男1人が日本列島を南から北へと流れていく。
この組み合わせは、興業ジャンルは違うが、アルドリッチの遺作「カリフォルニア・ドールズ」を思わせる。
ここで、男は出すぎずの位置で、それでも、いざのときは、ちょっとがんばって女たちを牽引する。
いいっすなあ。
参考になりなす。
って今更、参考にしても仕方ないんやけど。
演じる成田凌の佇まいが好ましい。
 
もちろん、デュオの門脇麦ちゃんと小松菜菜ちゃんも自然体ですばらしいっす。
彼女たちは、終始、女の子っぽい服装とは無縁で、部屋着みたいなので押し通す。
それもまた良い。
もちろん、中身がいいからなんですが。
 
映画のラストに異論の評を見た。
ここだけは、俺もそう思う。
それしちゃあダメっしょ…と思いました。
カメラの四宮秀俊つながりの連想ですが、「きみの鳥」みたいな寸止めで良かったのにと思う。
意見しなかったんすかね。
「監督、台なしっすよ」って。
 
女2人に対する男のポジショニングとしての場の空気を醸成することに成功している。成田の退いた佇まいが好ましいし門脇の諦観と小松の焦燥も物語内で沈殿して融解する。フィルムの質感と忘れ去られた風景と昭和な楽曲が混然として世界を形作る。(cinemascape)