ハーマン・J・マンキーウィッツ。
正直、「市民ケーン」以外に大した仕事があったのかと思ってしまうのだが。
篇中、30年代のMGMスタジオで、セルズニックにドイツから招聘された若きスタンバーグを前に、4、5人の脚本家チームが即興でシノプシスを披露する。言下にB級だとスタンバーグ。このとき、兄貴ハーマンについてきて映画界に足を踏み入れたのが後の大監督ジョセフ・L・マンキーウィッツ。
とまあ、脚本家たちはチームを組んでガンガン量産していたわけで、ハーマンの仕事もほとんどがアンクレジットだったんだろう。
映画は、40年代、ゴールデンボーイことウェルズからの依頼で「市民ケーン」の脚本を郊外のモーテルで缶詰めになって執筆するマンクことハーマンと、30年代、彼がバリバリにハリウッドで働いていたころのハーストの愛人との、又は本人との交流をカットバックで描く。
前者では、ウェルズとの軋轢とヤバい題材を手がけることへの圧力、後者では、不況下での左派勢力の勃興を背景にセレブの中のセレブであるハーストとの確執がメインの題材だ。
そのカットバックの連鎖の果てに、ウェルズとのクレジットをめぐる交渉と、ハーストとの反保守に与する決別がくる。男の正念場とも言うべき意地がスパークする。佳境といってもいい、見応えのある構成。
正直、俺は「市民ケーン」だったら、あのギミックてんこ盛りのウェルズの演出アイデアとか、トーランドのパンフォーカスの強烈な顕示など撮影現場そのものの方がはるかに興味があるのだが、その部分はない。
それでも、30年代から40年代にかけてのハリウッドのあれやこれやは十二分におもしろいし興味をそそられるものだった。
それにしても、共和党と民主党の支持層は、年月を経て全く逆転したんやね。
10年の歳月を往還した果てに道化猿の纏を脱ぐ意地と生き様の証として名を出す矜持がスパークする。その帰結が『市民ケーン』だったというのも1つの見方。であるがあの作品はやっぱウェルズのものだわなの思いも拭えない。30年代映画屋烈伝が楽しい。(cinemascape)