男の痰壺

映画の感想中心です

夜明けまでバス停で

★★★ 2022年11月1日(火) なんばパークスシネマ10

2年前のコロナ第1波による緊急事態宣言下の世相を反映させた作品で、その時何が起こっていたかを描こうとしているのだが。

当時、その余波を受けた多くの飲食業が苦境に立たされ廃業や縮小に追い込まれたことは散々報道もされたが、そこで職や住む場所さえも失った人々がどうなったかを映画は1人の女性を追うことで描こうとする、少なくとも前半は。

 

終バスが行った後、バス停で夜を明かすしかない彼女を、ネットに扇動された男が穢れとして駆逐しようとする。この構図で押すなら、優れて今の世相の1面の凝縮として納得できるものだったはず。

 

しかし、映画はこのラインを放逐してしまう。苦境に立つ主人公が見る街頭の液晶ビジョンで映し出されたニュース。菅総理の「自助・共助・公助」のアナウンス。あー又もや何もかも政治が悪いんですってなリベラル御用達映画に振れるのかといやーな予感に囚われる。伴明よお前もか、みたいな。

 

でも、映画はここから更に逸脱を加速してテロリズムへ向かうのだ。俺はそういう破綻が大好きなのでいやーな予感は一旦収まるかに思えたのだが、ここも踏み込み甘すぎます。「腹腹時計」「イトマン事件」「宇野総理の3本指スキャンダル」といったトピックは哀しいまでに言ってみただけで稚拙としか言えない。

 

最近、ディレカンのことがけっこう話題になってますが、そういう意味でこれは、伴明版「太陽を盗んだ男」になり損ねた作品なのかもしれません。

 

緊急事態宣言下で職を失い野宿せざるを得ない女性を社会の穢れとして駆逐しようとするNETに扇動される男というナウな図式が放逐されて社会が政治が悪いのよとの聞き飽きリベラルメッセージへと矛先を変えた傍からの再転換。本気汁の欠けたテロルの幻想。(cinemascape)

 

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